千姫、七十歳で亡くなる。徳川秀忠公の長女・伝通院に葬る
第2代将軍・徳川秀忠公の長女である千姫が、二月六日に70歳で死去しました。
千姫は7歳にて豊臣秀頼に嫁ぎましたが、元和元年の大坂城落城時に脱出しました。
その後、同二年に姫路城主である本多忠政の長男・本多忠刻に再嫁し、一男一女をもうけました。
寛正三年に忠刻が没した後は落飾(出家)して「天樹院」と号し、後に江戸に戻って竹橋(現在の東京都千代田区一ツ橋・皇居周辺)に居住しました。
葬儀および墓所は、小石川の伝通院(現在の東京都文京区小石川三丁目周辺)にて執り行われます。
千姫は7歳にて豊臣秀頼に嫁ぎましたが、元和元年の大坂城落城時に脱出しました。
その後、同二年に姫路城主である本多忠政の長男・本多忠刻に再嫁し、一男一女をもうけました。
寛正三年に忠刻が没した後は落飾(出家)して「天樹院」と号し、後に江戸に戻って竹橋(現在の東京都千代田区一ツ橋・皇居周辺)に居住しました。
葬儀および墓所は、小石川の伝通院(現在の東京都文京区小石川三丁目周辺)にて執り行われます。
【 史料原文・書き下し文 】
〔金補〕二月六日、秀忠の長女千姫没。七十歳。伝通院に葬す(七歳にて豊臣秀頼に嫁し、元和元年大坂落城時に脱出。同二年、姫路城主本多忠政長男忠刻に再嫁、一男一女を儲く。寛永三年忠刻没後、落飾して天樹院と号す。後江戸に戻り竹橋に住す)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
