【政治・社会 / 改元・年号】 寛保元年二月二十七日 (西暦 1741-04-12)
干支: 年[辛酉] 月[辛卯] 日[壬子]
月相: / 節気:

元文から寛保へ改元、辛酉革命と候補選定の難航

この日、元文から寛保に改元されました。
讖緯説に基づく辛酉革命にあたるため改元されました。寛保は、かつて霊元上皇が推したものの、新井白石が柳沢吉保を連想させるとして退けたとされます。今回は多くの候補が提出され、選定に時間を要しましたが、桜町天皇や摂関家が推す寛保に幕府も異議を唱えず、改元が実現しました。出典は『国語』周語の「寛所以保本也、注曰、本位也、寛則得衆」。寛大さによって根本を守り、人々の支持を得るという意味とされます。
出典・参考文献: