【人物 / おくやみ】
文化十四年正月十三日
(西暦 1817-02-28)
干支: 年[丁丑] 月[壬寅] 日[丁巳]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
葎雪庵午心が亡くなる。大門の俳師
俳師として知られた葎雪庵午心(本姓:岩波氏)が亡くなりました。
午心は暁台・蓼太らに師事した門人です。
この春の歳旦帳(初春の句集)に「梅かけて目出た申に行野かな」と詠んでおり、表向きは(梅の花が咲くおめでたい新春を迎え、皆様にお祝いの言葉を申し上げながら、春の野原へと晴れやかに繰り出していくことですよ)と解釈されますが、句の中にすでに「死に行く」を連想させる言葉が含まれており、(梅咲く新春を迎えて皆様に最後の挨拶(暇乞い)をし、私は静かに(墓所のある)野辺へと旅立っていくことなのでしょうか)とも解釈でき、死去の前兆であったのではないかと話題になりました。
午心は暁台・蓼太らに師事した門人です。
この春の歳旦帳(初春の句集)に「梅かけて目出た申に行野かな」と詠んでおり、表向きは(梅の花が咲くおめでたい新春を迎え、皆様にお祝いの言葉を申し上げながら、春の野原へと晴れやかに繰り出していくことですよ)と解釈されますが、句の中にすでに「死に行く」を連想させる言葉が含まれており、(梅咲く新春を迎えて皆様に最後の挨拶(暇乞い)をし、私は静かに(墓所のある)野辺へと旅立っていくことなのでしょうか)とも解釈でき、死去の前兆であったのではないかと話題になりました。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月中旬、俳師葎雪庵午心卒(此春の歳旦に、「梅かけて目出た申に行野かな」。句中に最早死行の語有しが、前表とはなれりといへり)。
金吾云、岩波氏にして、一説に文政元年正月十三日卒といふ。蓼太の門人なり。(武江年表)
金吾云、岩波氏にして、一説に文政元年正月十三日卒といふ。蓼太の門人なり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
