【人物 / おくやみ】
寛政十三年正月十八日
(西暦 1801-03-02)
干支: 年[辛酉] 月[庚寅] 日[乙未]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
小山寒巌が亡くなる。多才な画人・真崎の神主を務める
山水画や人物画に優れた画人・小山寒巌(本姓:馬氏、名:画熈、通称:北山権之助、字:文奎)が、正月十八日に死去しました。
寒巌は人物画の名手であった父・馬道良から画法を学び、山水・花鳥画にも抜群の才を示しました。
元は下谷(現在の東京都台東区周辺)に住む町与力でしたが、後に真崎(現在の東京都荒川区南千住周辺)の神社で神主を務めた経歴を持っています。
葬儀および墓所は、橋場の法源寺(現在の東京都台東区橋場周辺)にて執り行われます。
寒巌は人物画の名手であった父・馬道良から画法を学び、山水・花鳥画にも抜群の才を示しました。
元は下谷(現在の東京都台東区周辺)に住む町与力でしたが、後に真崎(現在の東京都荒川区南千住周辺)の神社で神主を務めた経歴を持っています。
葬儀および墓所は、橋場の法源寺(現在の東京都台東区橋場周辺)にて執り行われます。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月十八日、画人小山寒巌卒(名画熈。橋場法源寺に葬す)。
筠庭云、寒巌は本姓馬氏、北山権之助と云。字文奎。画法は其父馬道良に受く。山水人物花鳥、いづれも工みなり。父は大太郎と称す。人物最も工みなり。当時、江戸には比なかるべし。もと下谷に住て、其与力にかありしが、後、真崎とやらんの神主になれりといへり。(武江年表)
筠庭云、寒巌は本姓馬氏、北山権之助と云。字文奎。画法は其父馬道良に受く。山水人物花鳥、いづれも工みなり。父は大太郎と称す。人物最も工みなり。当時、江戸には比なかるべし。もと下谷に住て、其与力にかありしが、後、真崎とやらんの神主になれりといへり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
