飢饉続く。この頃から私娼が盛んになる
天保四年からの飢饉続く。石塚豊芥子の『国場遊廓考』によると、天保五年の大火を契機として「引っ張り」と称される私娼(非合法な売春婦)が発生するようになり、天保六年の大飢饉の節にさらに甚だしく盛んになったとのことです。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月七日(陽暦三月一六日)、北風烈しく、昼八時、神田佐久間町二丁目琴師の家より出火して、即時に神田川を越て東神田お玉が池の辺へ移り、一円に焼広がり、東は両国矢の倉(旧名なり)辺にいたる。西は神田お玉が池より今川橋向・本銀町・石町・本町・室町迄東側一円、伝馬町牢屋敷・油町・塩町・堺町・葺屋町両座の芝居・住吉町・難波町・大坂町・小網町辺。この間に挟りたる町は、少しも残る所なし。日本橋より先は、通り町筋東側・八丁堀・霊巌島の辺・新川・新堀・永代橋際迄、鉄炮洲・築地門跡より海手まで、木挽町芝居・佃島等悉く焼亡す。方域、去ル丑年三月の火事に大やうたがはず。
金吾云、一説にこの火災による焼失町数四百八十余町、焼死四千人に及ぶと伝へ、またこれを契機に、引つぱりと称する私娼の生じたることを、『国場遊廓考』(豊芥子著)は次の如くに述ぶ。天保五午年二月七日、佐久間町より出火。大火後より(引つぱり)始り、同六未年、大飢饉之節、甚盛んになる。(武江年表)
金吾云、一説にこの火災による焼失町数四百八十余町、焼死四千人に及ぶと伝へ、またこれを契機に、引つぱりと称する私娼の生じたることを、『国場遊廓考』(豊芥子著)は次の如くに述ぶ。天保五午年二月七日、佐久間町より出火。大火後より(引つぱり)始り、同六未年、大飢饉之節、甚盛んになる。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
