【人物 / おくやみ】
宝暦九年二月十七日
(西暦 1759-03-15)
干支: 年[己卯] 月[丁卯] 日[戊午]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
岩本乾什が亡くなる。俳人
著名な俳人として知られ「満足軒千歳児」と号した岩本乾什が、二月十七日に死去しました。
辞世の句として「雪解や八十年の作り物」ほか三句を残しました。
河東節の浄瑠璃の文句を多く手掛け「竹婦人」と号した人物はこの乾什であるという噂が世間に広く伝わり、出版物や著述(『声曲類纂』など)にも誤って記されていましたが、花街の坊正である竹島氏の話によると、「竹婦人」とは同家の先祖である竹島正朔のことであり、乾什に俳諧を学んで竹婦人と号したものが、当時乾什の名声が世に高かったため混同されて伝わったものであると明かされています。
辞世の句として「雪解や八十年の作り物」ほか三句を残しました。
河東節の浄瑠璃の文句を多く手掛け「竹婦人」と号した人物はこの乾什であるという噂が世間に広く伝わり、出版物や著述(『声曲類纂』など)にも誤って記されていましたが、花街の坊正である竹島氏の話によると、「竹婦人」とは同家の先祖である竹島正朔のことであり、乾什に俳諧を学んで竹婦人と号したものが、当時乾什の名声が世に高かったため混同されて伝わったものであると明かされています。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月十七日、俳人岩本乾什卒(満足軒千歳児と号。辞世 雪解や八十年の作り物。外に三句有。河東節上るりの文句を多く作りし、竹婦人といへるは、此乾什なるよし世に伝へて、印行の書にも往々しか記せり。おのれが『声曲類纂』にも、亦誤りてしか誌しつ。この頃、花街の坊正竹島氏の話に、竹婦人といへるは、彼家の祖にして、竹島正朔と号し、俳諧を乾什に学んで竹婦人と号。此頃、乾什の世に行れたる故、自ら混じて伝へしものなりといへり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
