【人物 / おくやみ】
文政七年三月二十一日
(西暦 1824-04-20)
干支: 年[甲申] 月[戊辰] 日[乙酉]
月相: / 節気: 穀雨
月相: / 節気: 穀雨
北尾政美が逝去する。画人
三月二十一日、絵師の鍬形蕙斎が亡くなりました(名は紹真)。
北尾重政の門人であり、はじめは北尾政美と名乗っていました。一枚絵(浮世絵)や草双紙の挿絵などを数多く描き、また『略画式』を出版して世間に大評判となり、さらに京都の黄華山が描いた『花洛一覧図』にならって『江戸一覧図』という(鳥瞰図風の)画法を工夫して出版しました。神田明神へ江戸図の大絵馬(奉納額)を捧げたことでも知られています。息子の絵師鍬形赤子が跡を継ぎました。
※喜多村筠庭注:蕙斎は、もともと竈河岸(かまどがし)の畳屋の息子であった。後に髪を剃って僧形となり名も「紹真」と改め、正しくは美作津山藩松平家の御用絵師となった。お玉ヶ池(東京都千代田区神田岩本町付近)に住んでいた。
北尾重政の門人であり、はじめは北尾政美と名乗っていました。一枚絵(浮世絵)や草双紙の挿絵などを数多く描き、また『略画式』を出版して世間に大評判となり、さらに京都の黄華山が描いた『花洛一覧図』にならって『江戸一覧図』という(鳥瞰図風の)画法を工夫して出版しました。神田明神へ江戸図の大絵馬(奉納額)を捧げたことでも知られています。息子の絵師鍬形赤子が跡を継ぎました。
※喜多村筠庭注:蕙斎は、もともと竈河岸(かまどがし)の畳屋の息子であった。後に髪を剃って僧形となり名も「紹真」と改め、正しくは美作津山藩松平家の御用絵師となった。お玉ヶ池(東京都千代田区神田岩本町付近)に住んでいた。
【 史料原文・書き下し文 】
○三月二十一日、画人鍬形蕙斎卒(名紹真。北尾重政が門人にして、始は北尾政美といへり。一枚絵・草双紙のるゐ多く画り。畧画式をあらはして世に行れ、又、京の黄華山が『花洛一覧図』にならひて、江戸一覧の図を工夫し、梓に上せ、神田の社へも江戸図の額をさゝげたり。其男を赤子といふ)。
筠庭云、蕙斎は、もと竈河岸畳屋の子なり。薙髪して紹真と改名、越後侯の絵師と成。於玉ヶ池に住す。(武江年表)
筠庭云、蕙斎は、もと竈河岸畳屋の子なり。薙髪して紹真と改名、越後侯の絵師と成。於玉ヶ池に住す。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
