【事件・災害 / 自然災害】 弘化四年三月八日 ~ 弘化四年三月二十五日 (西暦 1847-04-22 〜 1847-05-09)
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信州善光寺で御開帳。参詣客で賑わう

三月九日から四月二十九日まで、川中島善光寺如来の御開帳が行われており、諸国から大勢の参詣客が稲や麻のごとく群集しています。
【 史料原文・書き下し文 】
○三月二十四日(陽暦四月二五日)、信州大地震。人多く死す。江戸も、此夜少しの地震あり(今年三月八日より川中島善光寺如来の開帳ありて、諸国より参詣群集する事、稲麻のごとし。然るに浅間山の烟、常よりも減たるを怪しみ居たるに、三月二十四日、昼夜快晴にてありしが、夜四ッ時頃、俄に大地震ひ出し、立地どころに家屋を覆し、圧に打れて即死するもの、幾千人といふ事を知らず。善光寺近辺の旅店は、参詣の輩、泊り合してこの禍に逢ふもの有。ともに数へがたし。無程この倒れたる家より火燃出て、大火と成る。善光寺の本堂は傾たる儘残り、其余は悉く灰燼となんぬ。この時、山中にのがれて利益を蒙り、一命を全ふせしもの数多あり。又雷鳴の如き響ありて尚ゆり出し、夜明に及ぶ迄八十余度、四月・五月にいたりても猶止事なし。大地は裂けて、泥砂湧出し、其間へ人家堕入。丹波島より二里川上、虚空蔵山二十丁程崩れ、犀川へ落入、洪水溢れ、丹波川、水押出し、左右潮のごとし。焼死の人馬、幾といふ事を知らず。或筆記に三万人とあるは、大凡の積りにて、証としがたし。水内郡は殊に甚しかりしとなん。其他、山崩れ、水溢れ、一村を流す。たま生残るものも片輪となり、米穀尽て飢に迫り、道路に悲泣す。この間、地震は止時なく、用水は泥水となり、雨遠にして餲に苦り。程なく官府より小屋を建られて、この窮人を育し食物を給はりけるとぞ。誠に近年の大厄にして、聞く毎に戦慄す。開帳の前、門前へ大なる高札建しに、一夜にしていづちへか失ひ、行方をしらず。再建るに、又行方なし。三度にいたりて、昼夜番人を付たり。是この凶変を知らしめ給ふさとしならんと、後までいへりとぞ)。
筠庭云、此時、落書流行、拳文句、
〽さきは信州善光寺、開帳ぶら出かけます。泊りやぐら御堂へ参りましよ。だんだんだんくゑてきて、爺さまも婆さまもひしやがれた。供はほうにげてきた。迎にさあきなせ。
これは当春、猿若町二丁目の狂言に拳ありて、このごろ流行れる也。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表、長野郷土史研究会