【政治・社会 / 政治その他】
明治元年十一月十九日
(西暦 1869-01-01)
干支: 年[戊辰] 月[甲子] 日[壬辰]
月相: / 節気:
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築地鉄砲洲一円が外国人居留地に設定、新島原の開廓と後の移転の経緯
十一月十九日より築地・鉄砲洲一帯(現在の東京都中央区築地・明石町・湊周辺)の諸藩邸跡地などが取り払われ、外国人居留地や新町屋として開市されました。新湊町六〜九丁目、新栄町六〜九丁目、入船町七〜九丁目(いずれも現在の中央区入船・湊周辺)などが居留地となり、南飯田町・新栄町・数馬橋から北の稲荷橋周辺にかけて(いずれも中央区入船・新富周辺)は新たに「新島原」と称する遊廓が開設されました。花園町、桜木町、青柳町一・二丁目、松が枝町、八重咲町、梅が枝町、千歳町、呉竹町、初音町一・二丁目、入船町一〜五丁目、新栄町一〜五丁目、新湊町一〜五丁目(いずれも現在の中央区入船・新富・湊周辺)などの町名が新設され、翌年にかけて見世や茶屋が建ち並び大いに繁昌しました(※廓内での遊客の帯剣は禁止されました。なお、明治4年に吉原や根津門前へ移転統合されました)。"
【 史料原文・書き下し文 】
○同十九日より開市相成り、外国人居留・交易御宥免等に付、築地鉄炮洲一円、諸侯の邸跡等取払、外国人居留地と成り、或は町屋と成る。其内、新湊町六丁目・七丁目・八丁目・九丁目、新栄町六丁目・七丁目・八丁目・九丁目、入船町七丁目・八丁目・九丁目等は居留地と成。又此所、南飯田町・新栄町・数馬橋より北の方にて、稲荷橋の辺までの間もあらたに娼廓を開しめられ、新島原と号せらる。其町名、あらたに設る所、花園町・桜木町・青柳町壱丁目・二丁目・松が枝町・八重咲町・梅が枝町・千歳町・呉竹町・初音町壱丁目・二丁目・入船町壱丁目より五丁目迄・新栄町壱丁目より五丁目迄・新湊町壱丁目より五丁目まで、翌年にいたり娼家の造営落成し、茶店・拍戸、檐場を排ねて、絃歌、巷に囂しく、繁昌の廓とはなれり(この間、廓内に入る遊客、帯剣を禁ぜらる。後、明治四年、元地吉原町又は根津門前へうつされたり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
