【政治・社会 / 改元・年号】
寛文元年四月二十五日
(西暦 1661-05-23)
干支: 年[辛丑] 月[癸巳] 日[甲午]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
万治から寛文へ改元、京都の火災で朝廷が主導
この日、万治から寛文に改元されました。
内裏火災などの災異が理由とされます。前回は江戸の大火を理由に幕府側から改元が申し入れられたため、今回は京都の火災を理由とする朝廷側の申し入れを幕府が拒まなかったとされます。候補選定にも幕府の使者・吉良義冬が関与したとされます。典拠は『荀子』致士篇で、民が寛大な政治のもとで安らかに暮らすことを理想としています。
内裏火災などの災異が理由とされます。前回は江戸の大火を理由に幕府側から改元が申し入れられたため、今回は京都の火災を理由とする朝廷側の申し入れを幕府が拒まなかったとされます。候補選定にも幕府の使者・吉良義冬が関与したとされます。典拠は『荀子』致士篇で、民が寛大な政治のもとで安らかに暮らすことを理想としています。
出典・参考文献:
