【事件・災害 / 火災・火事】 万治四年正月二十日 (西暦 1661-02-19)
干支: 年[辛丑] 月[庚寅] 日[辛酉]
月相: / 節気:

鷹匠町より出火し大手周辺や木挽町までを焼失(日に異説あり)

正月二十七日(一説には正月二十日)、巳の刻頃(10時頃)に鷹匠町(現在の東京都千代田区大手町・丸の内周辺)より火災が発生しました。
折からの烈しい西北風にあおられた火の手は、大手の下馬伝奏屋敷、幕府の最高裁判所にあたる評定所(現在の千代田区大手町周辺)、鍛冶橋(現在の千代田区丸の内・中央区八重洲周辺)、京橋(現在の東京都中央区京橋周辺)、木挽町(現在の東京都中央区銀座周辺)にいたるまで猛烈に燃え広がり、大小名の下屋敷・上屋敷6、70軒を焼き尽くしました。
また町屋(市井)においても、上槙町以南(現在の東京都中央区八重洲・日本橋周辺)、南鍛冶町、桶町、弓町、新肴町、銀座(いずれも現在の中央区銀座周辺)、木挽町など合計42町、家数787軒がすべて焼け落ちる甚大な被害となりました。
なお、同日の暁(寅の刻・4時頃)には、小石川の阿部伊予守邸(現在の東京都文京区小石川周辺)からも失火があり、延焼によって神田橋内(現在の千代田区大手町・内神田周辺)から弓町(現在の千代田区内神田周辺)にいたる地域が類焼する被害となりました。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月二十七日、鷹匠町より出火、大手の辺、鍛冶橋・京橋の辺、木挽町まで、武家方・町屋、夥く焼亡。
金吾云、一説にこの火事は正月二十日の事とし、次のとほり記す。この日、巳の刻頃、鷹匠町より出火、折からの西北風に煽られ、大手下馬伝奏屋敷・評定所・鍛冶橋焼亡、大小名邸六、七十軒を焼く。また市井は上槙町以南、南鍛冶町・桶町・弓町・新肴町・銀座・木挽町などすべて四十二町、家数七百八十七軒を焼く。なほこの日、暁寅の刻、小石川阿部伊予守邸火を失し、延焼、神田橋内より弓町まで焼く。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表