元乗物町の裏家より出火、神田・日本橋・京橋・八丁堀から佃島まで百五十三町が全焼する大火
十一月九日の夜、子半刻(夜11時30分頃)、元乗物町(現在の東京都千代田区神田鍛冶町周辺)の裏長屋に一人で暮らす日雇い労働者・新兵衛が、泥酔して火の不始末を起こしたことから大火災が発生しました。強い北風にあおられて火は神田から新革屋町・新銀町・本町・室町・日本橋西河岸(いずれも千代田区神田・中央区日本橋周辺)へ急速に延焼し、一石橋を焼き落として通一丁目〜四丁目・呉服町・京橋周辺(いずれも中央区八重洲・京橋周辺)へと拡大しました。さらに竹河岸通の中の橋を焼き落として本八丁堀や八丁堀の南北町奉行所与力同心組屋敷の大半(いずれも中央区八丁堀・茅場町周辺)を呑み込み、日比谷町・亀島町・船松町(いずれも中央区新川・湊周辺)を経て、川を越えた佃島・石川島・鉄砲洲砲台(いずれも中央区佃・湊周辺)にまで達しました。本多侯・細川侯・井伊侯・松平侯・土井侯・奥平侯などの大名屋敷や多数の旗本屋敷、国円寺、伊雑太神宮・白旗稲荷社・鉄砲洲稲荷社などの寺社や無数の土蔵・倉庫が焼け落ち、全焼した町数は合計153町、被害範囲は長さ21町余(約2.3キロメートル)・平均幅7町余(約760メートル)に及びました。火は翌十日の昼過ぎ、京橋手前にてようやく鎮火しましたが、多数の死傷者が出たほか、災後は建築資材や大工・人夫の賃金が高騰しました。
【 史料原文・書き下し文 】
○同九日夜、子半刻、元乗物町の裏家に独住して日傭に出る新兵衛といふ独身男、沈酔して火を過ちてより、同町は更なり、北風にて焼ひろがり、新革屋町・新銀町・蠟燭町・関口町・横大工町・永富町・皆川町一円、竪大工町・上白壁町・三河町一丁目・二丁目・三丁目(三丁目は南の方計)・旗本衆四軒・養安院屋舗・鎌倉町・龍閑町・四軒屋敷・松下町・塗師町・新石町一丁目・鍛冶町一丁目・二丁目西側・本銀町一丁目・二丁目・本石町一丁目・本町一丁目(右二丁は焼込)・本革屋町・本両替町・北鞘町・品川町・室町西側・一石橋焼落、西河岸町・通一丁目より四丁目迄、西河岸町・青物町・万町・呉服町・元大工町・元四日市町・檜物町・上槙町・数寄屋町・北槙町・佐内町・平松町・音羽町・小松町・川瀬石町・南油町・新右衛門町・榑正町・箔屋町・岩倉町・下槇町・福島町・本材木町一丁目より八丁目迄、中橋広小路町・南伝馬町一丁目より三丁目迄、大鋸町・南槙町・富槙町・柾木町・南塗師町・南鞘町・桶町(二町)・南鍛冶町(二町)・南大工町・五郎兵衛町・北紺屋町・畳町・白魚屋敷・京橋半分・竹河岸通中の橋焼落、松川町(二町)・鈴木町・因幡町・常盤町・具足町・柳町・炭町・本八丁堀(五町)・八丁堀南北町奉行衆与力同心組屋敷大半焼、岡崎町・松屋町・永島町・長沢町・幸町・日比谷町・八丁堀金六町・同水谷町(二町)・南八丁堀一丁目より五丁目迄代地、幷亀島町・本港町・船松町(二町)・竹島町、其余町数合百五拾三町なり。諸侯には、本多侯・細川侯(中屋敷)・井伊侯(同)・松平越州侯・朽木侯・松平阿州侯(中屋敷)・松平遠州侯・土井侯(中)・奥平侯(中)・松平相州侯・中川侯(中)・細川若州侯、その外、此辺旗本衆三軒・佃島・石川島・鉄炮洲炮台、寺院は国円寺、社は伊雑太神宮・白旗稲荷社・金蔓稲荷社(木原店)・鉄炮洲稲荷社、其外小祠多し。長延二十一町余・幅平均して七町余の類焼なり。十日昼時過ぎ、京橋手前にて鎮れり。焼死・怪瑕人多く、倉庫の焼落たるは数を知らず。災後、諸材木・工匠・傭夫の価、次第に登貴せり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
