【人物 / おくやみ】
文化七年十二月二日
(西暦 1810-12-27)
干支: 年[庚午] 月[己丑] 日[壬午]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
多紀元簡が五十六歳で死去。江戸医学を中興した官医
十二月二日、幕府官医で江戸医学の学風形成の中心人物であった多紀元簡(通称は安長、桂山と号す。多紀元悳の長男)が56歳で亡くなりました。文化3年の大火で類焼した官立医学館を向柳原(現在の東京都台東区浅草橋周辺)に新築移転・再興させた功績で知られます。
【 史料原文・書き下し文 】
〔金補〕十二月二日、官医多紀元簡卒(五十六歳。通称安長、号桂山。多紀元悳の長男。文化三年類焼の官立医学館を向柳原に新築移転す。江戸医学の学風形成の中心人物)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
