【人物 / おくやみ】 安永八年十二月十八日 (西暦 1780-01-24)
干支: 年[己亥] 月[丁丑] 日[戊午]
月相: / 節気:

平賀源内、五十二歳にて獄死

十二月十八日、本草学・蘭学・戯作・発明など多才で知られた鬼才・平賀源内(名は国倫、風来山人・鳩渓と号す)が獄中で亡くなりました。享年52歳でした。墓所は橋場の総泉寺(現在の東京都台東区橋場周辺。※のち総泉寺の移転に伴い板橋区小豆沢へ移転、橋場の旧地は史跡指定)に置かれました。
安永八年十一月二十日に米屋の息子・久五郎を殺傷する事件を起こして直ちに逮捕・投獄されていました。
【 史料原文・書き下し文 】
○十二月十八日(陽暦一七八〇年一月二四日)、平賀鳩渓卒(名国倫、称源内、号風来山人。橋場総泉寺に葬。一書に安永九子年二月とも云)。
筠庭云、平賀源内、いかなる故有てか、米屋の悴を殺害したりとのみは、人の知れる所なり。詳かなることは聞へず。昔日、友人山崎氏の許にて、其子細の書付をみしことありしかど、今記憶せず。此書付、所持の人あるべし。発狂せしものゝやうに思はれたり。されば天然の終にはあらじ。
金吾云、源内が米屋の悴久五郎を殺害したるは、同年十一月二十日のことにして、即逮捕、獄に入りたるなり。卒年は五十二歳。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表