【人物 / おくやみ】
安政三年十月二十日
(西暦 1856-11-17)
干支: 年[丙辰] 月[己亥] 日[甲辰]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
二宮尊徳が七十歳で死去、日光復興の途上に今市で没す
農政家の二宮尊徳(通称は金次郎)が70歳で亡くなりました。
尊徳は幼少期に両親と死別し兄弟離散の苦難に遭いながらも、独力で家計を再興しました。その手腕を評価されて小田原藩家老の家政再建に成功すると、さらに同藩分家の荒廃した農村復興や各藩の財政・農村再建を手掛けました。天保13年には幕臣(士分)に登用され、弘化元年中からは日光仕法(日光領内の復興事業)に尽力していましたが、事業の途上、今市(現在の栃木県日光市今市)にて没しました。
尊徳は幼少期に両親と死別し兄弟離散の苦難に遭いながらも、独力で家計を再興しました。その手腕を評価されて小田原藩家老の家政再建に成功すると、さらに同藩分家の荒廃した農村復興や各藩の財政・農村再建を手掛けました。天保13年には幕臣(士分)に登用され、弘化元年中からは日光仕法(日光領内の復興事業)に尽力していましたが、事業の途上、今市(現在の栃木県日光市今市)にて没しました。
【 史料原文・書き下し文 】
〔金補〕十月二十日、農政家二宮尊徳卒す(七十歳。名金次郎。早く両親に死別、兄弟離散するも努力の結果、一家を再興。其後、手腕を認められ、小田原藩家老の家政立直しに成功。さらに同藩分家の荒村復興、各藩の復興等を手掛け、天保十三年には士分となり、弘化元年よりは日光仕法に取組み、業半ばにして今市に没す)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
