【人物 / おくやみ】 嘉永元年十一月六日 (西暦 1848-12-01)
干支: 年[戊申] 月[甲子] 日[丙子]
月相: / 節気:

曲亭馬琴が八十二歳で死去。『南総里見八犬伝』で知られる

『南総里見八犬伝』などの作品で知られる戯作者の曲亭馬琴(名は解、号は蓑笠・玄同・著作堂など、旧名は滝沢清右衛門)が82歳で亡くなりました。晩年に失明して以降も執筆を続け、数多くの名作を残しました。墓所は小石川茗荷谷(現在の東京都文京区小日向)の深光寺に置かれました。
山東京伝の回想によると、馬琴は若き日に生活に困窮して京伝に弟子入りを頼み込み、京伝の紹介で蔦屋重三郎(蔦重)の店に入って算盤を習い、番頭を務めたそうです。読本においては馬琴の右に出る者はおらず、両者は江戸戯作界の双璧と称されました。
【 史料原文・書き下し文 】
○十一月六日(陽暦一二月一日)、曲亭馬琴卒(八十二歳。名解、号蓑笠・玄同・著作堂等の数号あり。始滝沢清右衛門と云。薙髪して篁民といふ。著作の事は世の人、普く知る所也。天保中、明を失ひて後も猶、著作少なからず。小石川茗荷谷深光寺に葬す。著作堂隠誉蓑笠居士と号す。辞世 世の中の役をのかれてもとのまゝかへすそ雨と土の人形)。
筠庭云、曲亭は、京伝と一双に称せらる。されど京伝は漢文字よめず、読本と云ふものは曲亭にをよばず。只、京伝は和らかに、曲亭は癖説をかざる。もと京伝が深川に居し時、馬琴、いまだ著作したる事なかりしが、京伝がもとに行て弟子たらん事を求む。其頃馬琴、糊口もならねば、京伝、口を入て絵双紙屋蔦重が店に遣したり。馬琴、俄に十露盤習ひて其店の番頭を勤めたりと、京伝が話なり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表