【人物 / おくやみ】
嘉永元年三月二十九日
(西暦 1848-05-02)
干支: 年[戊申] 月[丙辰] 日[癸卯]
月相: / 節気: 八十八夜
月相: / 節気: 八十八夜
北静盧が亡くなる。狂歌師・書籍の博識家・西久保教受院に葬る
三月二十九日、内外の多様な書籍に通じた博識家であり、網破損針金と号して狂歌師としても活動した北静盧(本名:北慎言、通称:三左衛門、号:梅園)が、死去しました。
静盧は新橋の料亭・金春屋の鈴木氏の子で、後に金春屋敷の屋根葺棟梁である北氏を継いだ経歴を持ちます。
葬儀および墓所は、西久保の天徳寺中教受院(現在の東京都港区虎ノ門周辺)にて執り行われました。
静盧は新橋の料亭・金春屋の鈴木氏の子で、後に金春屋敷の屋根葺棟梁である北氏を継いだ経歴を持ちます。
葬儀および墓所は、西久保の天徳寺中教受院(現在の東京都港区虎ノ門周辺)にて執り行われました。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月二十九日、喜多静盧卒(八十四歳。名慎言、称三左衛門、号梅園。西久保天徳寺中教受院に葬す。内外の書籍に渉りし人なり)。
筠庭云、姓は北なり。喜多にはあらず。北静盧は、もと樽三などのごとき料理屋なり。家名・住所も聞しかど忘れたり。家根屋が聟となりて、茶屋は滅したり。木阿弥が社中にて、狂歌師なり。網破損針金と云へり。一度、古本のせどりといふものになりしとか。書籍の表題、よく覚へたる人なり。性質風雅なく、神楽などの繁華なるを見る事を好めり。
金吾云、卒せしは三月二十九日なり。新橋の料亭金春屋鈴木氏の子にして、のち金春屋敷の屋根葺棟梁北氏を継げるなり。(武江年表)
筠庭云、姓は北なり。喜多にはあらず。北静盧は、もと樽三などのごとき料理屋なり。家名・住所も聞しかど忘れたり。家根屋が聟となりて、茶屋は滅したり。木阿弥が社中にて、狂歌師なり。網破損針金と云へり。一度、古本のせどりといふものになりしとか。書籍の表題、よく覚へたる人なり。性質風雅なく、神楽などの繁華なるを見る事を好めり。
金吾云、卒せしは三月二十九日なり。新橋の料亭金春屋鈴木氏の子にして、のち金春屋敷の屋根葺棟梁北氏を継げるなり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
