【人物 / おくやみ】
安政二年十一月三十日
(西暦 1856-01-07)
干支: 年[乙卯] 月[戊子] 日[己丑]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
杵屋六三郎(四代目)が七十七歳で死去。長唄中興の祖で『勧進帳』を作曲
十一月晦日、長唄の名手であり演奏・作曲の両面で「長唄中興の祖」と称えられた四代目杵屋六三郎(改め杵屋六翁)が77歳で亡くなりました。墓所は谷中(現在の東京都台東区谷中周辺)の本寿寺に置かれました。
六翁は四代目杵屋六三郎が天保11年に改名した名義です。その抜きんでた技量を高く評価した七代目市川団十郎は、歌舞伎十八番の選定にあたり「勧進帳」の復活・脚色を劇作家の並木五瓶に依嘱し、その作曲担当として四代目杵屋六三郎を指名しました。こうして誕生した『勧進帳』の楽曲は、歌舞伎舞踊曲の中で第一の傑作と高く評価されています。
六翁は四代目杵屋六三郎が天保11年に改名した名義です。その抜きんでた技量を高く評価した七代目市川団十郎は、歌舞伎十八番の選定にあたり「勧進帳」の復活・脚色を劇作家の並木五瓶に依嘱し、その作曲担当として四代目杵屋六三郎を指名しました。こうして誕生した『勧進帳』の楽曲は、歌舞伎舞踊曲の中で第一の傑作と高く評価されています。
【 史料原文・書き下し文 】
○同晦日、長唄の三味線に名ありし杵屋六翁死(七十余歳)。
金吾云、六翁は四代目杵屋六三郎が天保十一年に改名せし名にして、演奏・作曲両面にて長唄中興の祖といはる。七代目市川団十郎その技倆を評価、歌舞妓十八番の選定に際し、「勧進帳」の復活・脚色を並木五瓶に依嘱、作曲は杵屋六三郎が担当、歌舞妓舞踊曲中の第一と評価さる。享年七十七歳。谷中本寿寺に葬す。(武江年表)
金吾云、六翁は四代目杵屋六三郎が天保十一年に改名せし名にして、演奏・作曲両面にて長唄中興の祖といはる。七代目市川団十郎その技倆を評価、歌舞妓十八番の選定に際し、「勧進帳」の復活・脚色を並木五瓶に依嘱、作曲は杵屋六三郎が担当、歌舞妓舞踊曲中の第一と評価さる。享年七十七歳。谷中本寿寺に葬す。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
