【人物 / おくやみ】 享保十四年十一月十一日 (西暦 1729-12-30)
干支: 年[己酉] 月[丙子] 日[辛未]
月相: / 節気:

田中丘隅が死去。農政家・代官として川崎宿再興や酒匂川治水に貢献(没年月日に異説あり)

十一月十一日、江戸時代の優れた農政家・経世家であり代官としても手腕を振るった田中丘隅(本姓は窪島、名は喜古、冠草老人と号す)が亡くなりました。68歳でした。享保年間に武蔵国川崎宿の再興や酒匂川の治水工事を成功させた功績などにより幕府代官(関東3万石支配勘定格)へ登用された人物です。墓所は武蔵国川崎宿の西にある小向村妙光寺(現在の神奈川県川崎市幸区小向西町周辺)に置かれました。
※一説には十二月二十四日没とも、享保二年十二月没とも
【 史料原文・書き下し文 】
○十二月 日、田中丘隅卒(武州川崎の西、小向村妙光寺に葬る。名は喜古、冠草老人と云。一年酒匂川の洪水を治て功あり。依て臣下の列に加へ給へりとぞ)。
金吾云、一説に享保十四年十一月十一日卒、六十八歳とあり。(武江年表)
〔金補〕十二月二十四日、民政家田中丘隅卒(六十八歳。本姓窪島、名喜古、晩年、幕命により荒川・酒匂川の治水工事を指揮、関東三万石支配勘定格に任ぜらる)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表