【事件・災害 / 社会・奇聞】 享保十三年正月三日 (西暦 1728-02-12)
干支: 年[戊申] 月[甲寅] 日[甲辰]
月相: / 節気:

清水如水、辞世の句を遺す

狂歌師として知られる清水如水が、正月三日の朝に「公事・喧嘩・地震・雷・火事・晦日・飢饉・煩わしき国へ行く(お訴訟や喧嘩、地震や雷、火事や大晦日のやりくり、飢饉などの煩わしい現実世界へ向かう)」との辞世の句を遺しました。
【 史料原文・書き下し文 】
正月五日、清水如水卒(七十二歳。浅草金龍寺に葬す。如水は横山町に住し、狂歌をたしなみ、又もろの細工をよくす。其伝『江戸名所図会』に載たり。其子宇平次、瓢流と号し、老母に孝あり。又父に似て細工に妙ありし由、『雑談集』といへる草紙にあり。宇平次は延享三年六月二十九日、終れり)。
金吾云、『江戸名所図会』の巻之一、天枢之部に「清水如水の宅地」の項あり。その一部を述ぶ。「常に酒をたしなめり。酔ざる時はしほとして猥に言語を発する事なく、酒を飲する時はのひとして勢ひよくはひあるきければとて、人名付て藤根堂と呼けるとなり。(中略)如水、一時大和国法隆寺に蔵する所の賢聖の瓢といへる器物を見て後、瓢に彫物をする事を得たり。しかも鈍刀を用ひて其巧尤絶妙なり。依て其需多かりければ、此匏瓜の為に身を押へられたりとの意にて、自ら迷淵蟠鯰侯とぞ名のりける。(中略)享保十三年戊申正月三日朝起て、公事喧地震雷火事晦日飢饉煩き国へゆく。かくよみて、同じ五日の暮方、剃頭湯あみし、太神宮を拝し奉りしまゝに終をとれり(下略)」。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表