【人物 / おくやみ】 享保十三年正月五日 (西暦 1728-02-14)
干支: 年[戊申] 月[甲寅] 日[丙午]
月相: / 節気:

清水如水が七十二歳で死去。狂歌・細工に秀でる

正月五日、横山町(現在の東京都中央区日本橋横山町周辺)に居住し狂歌や各種細工に秀でた清水如水が72歳で亡くなり、浅草の金龍寺(台東区寿周辺)に葬られました。
彼の業績については『江戸名所図会』の巻之一、天枢之部に「清水如水の宅地」の項に書かれており、その記載によれば、如水は常に酒をたしなみ、酔っていない時はしおらしくして無闇に言葉を発することがない一方、酒を飲むと伸びやかになって勢いよく這い歩いたため、人々から「藤根堂」と呼ばれたといいます。如水は大和国法隆寺の「賢聖の瓢」を見て以来、鈍刀を用いて見事な瓢箪彫刻を施す名人となり、需用があまりに多くなってしまったため、『この瓢箪(ひょうたん)のせいで、我が身がすっかり縛られて(自由を奪われて)しまった』という意味を込めて自ら「迷淵蟠鯰侯」と称しました。
享保十三年正月三日の朝に「公事・喧嘩・地震・雷・火事・晦日・飢饉・煩わしき国へ行く(お訴訟や喧嘩、地震や雷、火事や大晦日のやりくり、飢饉などの煩わしい現実世界へ向かう)」との句を詠み、五日の夕方に剃髪して湯あみし、伊勢の大神宮を拝したまま示寂しました。
『雑談集』によると、息子の宇平次(号は瓢流)も孝行者で細工の妙手として知られ、延享三年六月二十九日に亡くなったとのことです。
【 史料原文・書き下し文 】
正月五日、清水如水卒(七十二歳。浅草金龍寺に葬す。如水は横山町に住し、狂歌をたしなみ、又もろの細工をよくす。其伝『江戸名所図会』に載たり。其子宇平次、瓢流と号し、老母に孝あり。又父に似て細工に妙ありし由、『雑談集』といへる草紙にあり。宇平次は延享三年六月二十九日、終れり)。
金吾云、『江戸名所図会』の巻之一、天枢之部に「清水如水の宅地」の項あり。その一部を述ぶ。「常に酒をたしなめり。酔ざる時はしほとして猥に言語を発する事なく、酒を飲する時はのひとして勢ひよくはひあるきければとて、人名付て藤根堂と呼けるとなり。(中略)如水、一時大和国法隆寺に蔵する所の賢聖の瓢といへる器物を見て後、瓢に彫物をする事を得たり。しかも鈍刀を用ひて其巧尤絶妙なり。依て其需多かりければ、此匏瓜の為に身を押へられたりとの意にて、自ら迷淵蟠鯰侯とぞ名のりける。(中略)享保十三年戊申正月三日朝起て、公事喧地震雷火事晦日飢饉煩き国へゆく。かくよみて、同じ五日の暮方、剃頭湯あみし、太神宮を拝し奉りしまゝに終をとれり(下略)」。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表