歌川豊国(初代)が五十七歳で死去。人気浮世絵師
正月七日、大人気浮世絵師の歌川豊国(57歳。通称は熊吉、号は一陽斎)が亡くなり、聖坂の功運寺(現在の東京都港区三田周辺)に葬られました。歌川豊春の門人として一家を成し享和以来大流行しました。初期はまったく売れなかったものの、芝周辺に住んでいたため赤羽金毘羅へ願を掛け日参祈願し、満願の日に描いた絵を神明前の草子屋・泉市に持ち込み、画料なしで錦絵化を頼んだところ大ヒットしました。売れっ子となった後は中橋通横町(中央区京橋周辺)の三笑亭可楽の隣家に住み、恩のある泉市を生涯疎略にしなかったと伝えられます。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月七日(陽暦二月二四日)、浮世絵師歌川豊国死(五十七歳。聖坂功運寺に葬す。称熊吉。一陽斎と号す。歌川豊春の門人にして、一家をなし、享和以来世に行れたり。門人数多有。柳島法性寺の碑蔭に見えたり)。
筠庭云、豊国、はじめ一向はやらず、芝辺に住ける故、赤羽金毘羅に立願、日参し、満限の日、何にか有けん、絵を書て神明前の草子屋泉市が所に行て、これを錦絵にして賜へ、写料は受申さずと頼みしが、不便にをもひて、板本、これを刊行せしに、相応に售りしかば、随分出精して書れよとて、次々に絵を出し、それより漸々に行はれたり。この故に、はやり盛りても、泉市が方をば疎略にせざりしとなり。流行りし頃は、中橋通横町に三笑亭可楽が隣家に居れり。(武江年表)
筠庭云、豊国、はじめ一向はやらず、芝辺に住ける故、赤羽金毘羅に立願、日参し、満限の日、何にか有けん、絵を書て神明前の草子屋泉市が所に行て、これを錦絵にして賜へ、写料は受申さずと頼みしが、不便にをもひて、板本、これを刊行せしに、相応に售りしかば、随分出精して書れよとて、次々に絵を出し、それより漸々に行はれたり。この故に、はやり盛りても、泉市が方をば疎略にせざりしとなり。流行りし頃は、中橋通横町に三笑亭可楽が隣家に居れり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
