【人物 / おくやみ】 元治二年正月十一日 (西暦 1865-02-06)
干支: 年[乙丑] 月[戊寅] 日[丁未]
月相: / 節気:

梅の屋鶴寿六十二歳で亡くなる。狂歌師(没年に異説あり)

狂歌師として知られた梅の屋秣翁(本名:吉田佐吉、一号:鶴寿、通称・一説には諸田佐吉)が、正月十一日に62歳(一説には元治元年死去、63歳)で死去しました。
秣翁は神田佐久間町(現在の東京都千代田区神田佐久間町)に住み、狂歌の世界で活躍しました。
辞世の句として「爪づくがさいご此世の暇乞ひま行駒の送り狼(馬が一度つまずいたらそれでおしまいであるように、私もつまずいてこれが最後、この世に別れ(暇乞い)を告げることとなった。
パカパカと走り去っていく馬(時間・人生)の陰から、死へと引きずり込む「送り狼」が、いよいよ私を見送りにやって来たようだ。)」を残しています。
葬儀および墓所は、本郷(現在の東京都文京区向丘付近)の大円寺にて執り行われます。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月十一日、狂歌師梅の屋秣翁死(六十二歳。称吉田佐吉、一号鶴寿。神田佐久間町住。辞世 爪づくがさいご此世の暇乞ひま行駒の送り狼)。
金吾云、一説に称諸田佐吉、元治元年卒、六十三歳といふ。本郷大円寺に葬す。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表