【事件・災害 / 火災・火事】 嘉永三年二月五日 (西暦 1850-03-18)
干支: 年[庚戌] 月[己卯] 日[戊辰]
月相: / 節気: 彼岸

麹町から出火し大名屋敷や寺社、芝の町屋を焼き尽くす歴史的大火

二月五日は晴天(彼岸の入り)でしたが、乾の方角から猛烈な大風が吹き荒れて土砂を吹き飛ばす荒天となりました。
巳刻(10時頃)、麹町五丁目に続き、岩城升屋の後方に位置する高田放生寺の借地内の見守番人宅(炭団屋)(現在の東京都千代田区麹町周辺)より出火しました。
煙は西・東・南へと立ち込め、一時に猛烈な勢いで焼え広がり、黒煙は天を焦がしました。
火の手は麹町五丁目から一丁目までをはじめ、隼町、平川町、山本町、谷町周辺のほか、数多くの武家地を焼き尽くしました。
具体的には、定火消御役屋敷のほか、京極侯、明石侯、三宅侯、大村侯、鳥居侯、山王門前町屋(山内は無事)、内藤侯、井伊侯、細川侯などの御屋敷が類焼に及びました(なお、芸州侯の屋敷は別条ありませんでした)。
そこからさらに黒田侯、内藤侯、九鬼侯、丹羽侯、柳沢侯の屋敷を越えて外桜田へと飛び火し、京極侯、木下侯、相良侯、御勘定奉行御役屋敷、加藤侯、朽木侯、兼房町、和泉町、備前町、伏見町、鍛冶町の周辺、さらに愛宕山の本社、二王門、額堂、末社、別当所、末寺、同所の麓にあった東西の大小名やしき一円を焼き払いました。
さらに、真福寺、天徳寺とその門前、青松寺へと燃え込み、増上寺の支院数宇が焼失したほか、神明社、浜の大久保侯から金杉橋の松平因州侯下屋敷、そのほか柴井町、宇田川町、神明町、三島町、七軒町、中門前、片門前、浜松町、新網町、湊町、西応寺町、同朋町、浜町、金杉一丁目から五丁目周辺の町屋一円、円珠寺、正伝寺、安楽寺、徳覚寺、その他のこの周辺の寺院も類焼し、芝橋の際にいたる浜手にまで達し、夜の戌下刻(20時頃)になってようやく漸く鎮火しました。
なお、会津侯、仙台侯、新銭座の屋敷は奇跡的に残りました。
最終的な被害は、諸侯の藩邸52宇、小名屋敷92宇、寺院19宇余、町数57町にのぼりました。
火災の規模は、長さが凡そ33町余、幅は広狭平均して4町余りに及びました。
焼死者や負傷者の数は数え切れないほどであったと伝えられています。
【 史料原文・書き下し文 】
○同五日、晴天(彼岸の入なり)、乾、大風、土砂を飛す。巳刻、麴町五丁目続き、岩城升屋の後なる高田放生寺の拝借地に在る見守番人の家(炭団屋)より出火して、烟、西東南に被り、一時に焼ひろがり、黒烟天を焦し、同町五丁目より壱丁目まで、隼町・平川町・山本町・谷町辺、又武家地多く焼け、定火消御役屋敷・京極侯・明石侯・三宅侯・大村侯・鳥居侯・山王門前町屋(山内は恙なし)・内藤侯・井伊侯・細川侯等の御屋敷、類焼に及び、芸州侯は別条なし。夫より黒田侯・内藤侯・九鬼侯・丹羽侯・柳沢侯より外桜田へ飛て、京極侯・木下侯・相良侯・御勘定奉行御役屋敷・加藤侯・朽木侯・兼房町・和泉町・備前町・伏見町・鍛冶町の辺、愛宕山本社・二王門・額堂・末社・別当所・末寺、同所麓東西大小名やしき一円、真福寺・天徳寺・同門前・青松寺へ焼込、増上寺は支院数宇焼け、神明社浜の大久保侯より金杉橋松平因州侯下屋敷、其外柴井町・宇田川町・神明町・三島町・七軒町・中門前・片門前・浜松町・新網町・湊町・西応寺町・同朋町・浜町・金杉壱丁目より五丁目辺の町屋一円、円珠寺・正伝寺・安楽寺・徳覚寺、其外此辺の寺院類焼して、芝橋際迄浜手に至り、夜戌下刻、漸に鎮火せり。会津侯・仙台侯・新銭座は残る。諸侯の藩邸五十二宇、小名九十二宇、寺院十九宇の余、町数五十七町なり。長凡三十三町余、幅広狭平均して四町の余と聞り。焼死・怪我人、数ふべからずとぞ。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表