神田新銀町から出火し鍛冶橋御門を焼失する大火
二月二十日の夕七ッ時(16時頃)、神田新銀町(現在の東京都千代田区神田司町周辺)より出火しました。
烈しい北風にあおられ、蠟燭町、多町、竪大工町、新石町、鍋町、鍛冶町西側、皆川町、永富町、松下町、鎌倉町、三河町一丁目、本銀町一丁目、本石町、本町一丁目、一石橋(現在の千代田区神田・中央区日本橋周辺)にいたるまで焼き尽くしました。
同夜の八ッ時過(2時頃)には鍛冶橋内へ飛び火して同御門が焼失し、明六ッ時(6時頃)にようやく鎮火しました。当時滞在していた朝鮮通信使の人々もこの大火に大変驚愕したと伝えられます。
烈しい北風にあおられ、蠟燭町、多町、竪大工町、新石町、鍋町、鍛冶町西側、皆川町、永富町、松下町、鎌倉町、三河町一丁目、本銀町一丁目、本石町、本町一丁目、一石橋(現在の千代田区神田・中央区日本橋周辺)にいたるまで焼き尽くしました。
同夜の八ッ時過(2時頃)には鍛冶橋内へ飛び火して同御門が焼失し、明六ッ時(6時頃)にようやく鎮火しました。当時滞在していた朝鮮通信使の人々もこの大火に大変驚愕したと伝えられます。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月二十日夕七ッ時、神田新銀町より出火。北風烈しく、蠟燭町・多町・竪大工町・新石町・鍋町・鍛冶町西側・皆川町・永富町・松下町・鎌倉町・三河町壱丁目・本銀町一丁目・本石町・本町壱丁目・一石橋迄焼。同夜八ッ時過、鍛冶橋内へ飛火、同御門焼、明六ッ時鎮る(韓人逗留のうちにてありしが、此大火に恐怖せしとぞ)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
