【事件・災害 / 火災・火事】 明和八年二月二十九日 (西暦 1771-04-13)
干支: 年[辛卯] 月[辛卯] 日[庚寅]
月相: / 節気:

同日に三カ所から相次ぎ出火し両国・本所・浅草一帯を焼き尽くす

二月二十九日の明七ッ時・四ッ時・昼八ッ時の三度にわたり、それぞれ別個の出火が発生して江戸市中を焼き払いました。
明け七ッ時過(4時頃)、村松町二丁目北側(現在の東京都中央区日本橋郡司町周辺)より出火し、烈しい西南風により横山町、薬研堀、米沢町、吉川町、柳橋を焼き払い、本多平八郎蔵屋敷にて焼け止まりました。
同日四ッ時頃(10時頃)、浜町より出火し大川向かいの本所へ飛び火、六間堀、松井町、林町、相生町、緑町、吉田町、新坂町、報恩寺、霊山寺、本法寺などを焼き、大法寺・真感寺付近で鎮火しました。
また昼八ッ時(14時頃)、浅草聖天町(現在の台東区浅草周辺)より出火し、聖天町、橋場町、瓦町、新鳥越町へ及び、真崎周辺で焼け止まりました。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月(日不知)、村松町より出火、両国辺皆焼亡。浅草御蔵前筋・真先稲荷の辺にいたる。
金吾云、この火災は、二月二十九日の明七ッ時・四ッ時・昼八ッ時にそれぞれ出火したるなり。△明け七ッ時過、村松町二丁目北側より出火、西南風烈しく、横山町・薬研堀・米沢町・吉川町・柳橋焼け落ち、森田町代地・旅籠町代地・天王町・瓦町代地・茅町、東側ばかりが残る。本多平八郎蔵屋敷にて焼留まる。△同日四ッ時頃、浜町より出火、大川向ひに飛火、六間堀・松井町・林町・相生町・緑町、周辺武家屋敷もおびただしく焼け、吉田町・新坂町に及び、報恩寺・霊山寺・本法寺等も焼き、大法寺・真感寺の辺りで鎮火。△また昼八ッ時、浅草聖天町より出火、聖天町・橋場町・瓦町・新鳥越町に及び、真崎辺で焼留まる。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表