【政治・社会 / 政治その他】
明和九年六月二十一日
(西暦 1772-07-21)
干支: 年[壬辰] 月[丁未] 日[乙亥]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
明和の大火の原因となった僧、浅草にて火刑に処される
二月二十九日の明和の大火の火元となった目黒行人坂の大円寺(品川区西五反田・目黒区下目黒周辺)の僧で、師父への恨みから物置に放火した長五郎坊主と異名された悪僧が、六月二十一日に浅草にて火刑に処されました。
【 史料原文・書き下し文 】
○二月二十九日(陽暦四月一日)、乾より西南の風烈しく、土烟天を覆ひ、日光朦朧たり。午の刻、目黒行人坂大円寺(天台)より出火して、永峯町通り・白金在町・麻布辺一円(善福寺は本堂・開山堂のこる)・三田新網町辺・狸穴・飯倉・市兵衛町なだれ・霊南坂、一筋は、西久保・桜田・霞が関・虎御門・日比谷御門・馬場先御門・桜田御門・和田倉御門・常盤橋御門・神田橋御門等焼亡。右道筋御門内諸侯藩邸、灰燼と成る。日本橋南は通三・四町目西側、元四日市町・万町・西河岸辺より南伝馬町・中橋を限り上槙町迄。北は本町・石町辺・東西神田町々・武家方共一円。小川町入口・駿河台・昌平橋・筋違橋御門・外神田町々・神田社・聖堂・湯島天神社・同所近辺一円。上野仁王門・山王社・下寺不残、車坂・下谷辺広小路・御徒町・三味線堀・坂本・入谷・金杉・箕の輪・小塚原・吉原町・千住大橋向掃部宿。浅草筋は下谷広徳寺前通・新堀・阿部川町・鳥越辺、本願寺御堂・浅草寺(本堂残る)・伝法院幷寺中・馬道・田町・新鳥越・橋場に至る。又同日暮六時、本郷丸山田町より出火して、森川宿追分・駒込・白山・傾城が窪入口迄。うなぎ縄手・土物店・千太木入口・根津・谷中感応寺・芋坂・根岸に至る(翌晦日未刻、此所にて止る)。又翌晦日巳刻、北風にかはり、或東風に成、常盤橋外の火、大伝馬町辺・馬喰町二丁目迄、浜町辺、堺町・葺屋町両座の芝居・操芝居四座、小網町・大坂町・田所町・難波町・住吉町辺・伊勢町・駿河町・室町辺、日本橋・中橋・京橋にいたる。未刻、双方の火鎮り、此時大雨降、風鎮る。此火事、長六里・幅一里。大小名藩邸・寺院・神社・町屋の類夥しく、焼死怪我人、其数を知らず(上野仁王門、此時再度の焼亡也。感応寺五重ノ塔も此とき焼る。麻布一本松やけて、後に栽替たり。○吉原町仮宅、今戸・橋場・山の宿・両国・深川八幡前・佃丁へ出る。芳町の衒艶郎も仲丁の仮宅へ出る。○大火後、行人坂大円寺再建無し。その跡へ、ある人、五百羅漢の石像を造立す。○雪中菴蓼太、横山町に住たりしが、此火事に逃れて深川六間堀要津寺中の菴にいたり、『緋桜を忘れて青き柳かな』といふ句をなし、見舞にきたりし人に句を乞ひて、百韵みてゝ夜を明せしとぞ)。
金吾云、大円寺の出火は、同寺の所化長五郎坊主と異名せられし悪僧、その師にいささか恨むことあり、物置に放火したるより起こりしとのこと。六月二十一日、浅草に於て火刑に処せらる。なほ、この火災による死傷者は数千人に及び、明暦三年以来の大火となる。(武江年表)
金吾云、大円寺の出火は、同寺の所化長五郎坊主と異名せられし悪僧、その師にいささか恨むことあり、物置に放火したるより起こりしとのこと。六月二十一日、浅草に於て火刑に処せらる。なほ、この火災による死傷者は数千人に及び、明暦三年以来の大火となる。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
