【政治・社会 / 政治その他】
明治五年三月二日
(西暦 1872-04-09)
干支: 年[壬申] 月[甲辰] 日[丙戌]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
防火のため英人ウォートルスの指導により銀座・築地一帯の煉瓦石造り近代街路への改修が本格化する
三月二日、御府下(東京府内)の家屋建築について、火災を防ぐため追々煉瓦石を用いて建て替えるよう、英人ウォートルス(A. O. Waters)の示した方法に基づいた詳細な御布令が出されました。
その後、銀座・尾張町・竹川町などの大通りから工事が始まり、明治十年までに往還道は十五間(約27m)に拡張され、中央を馬車道、左右を人道とし、その境界および両側には樹木が植えられました(通り町から西の中通り、弓町辺りから南は大坂町まで、また御堀端の比丘尼橋南側、西紺屋町通り、山下町・丸屋町辺りに至るまで煉瓦石の建物が落成しました。
特に銀座一丁目の貨食舗を営む「松田」という店は、煉瓦造りの中でもりわけ美麗な大厦を構え、多くの奴婢(使用人)を抱えて連日来客が群集し大変な賑わいを見せました)。
その後、銀座・尾張町・竹川町などの大通りから工事が始まり、明治十年までに往還道は十五間(約27m)に拡張され、中央を馬車道、左右を人道とし、その境界および両側には樹木が植えられました(通り町から西の中通り、弓町辺りから南は大坂町まで、また御堀端の比丘尼橋南側、西紺屋町通り、山下町・丸屋町辺りに至るまで煉瓦石の建物が落成しました。
特に銀座一丁目の貨食舗を営む「松田」という店は、煉瓦造りの中でもりわけ美麗な大厦を構え、多くの奴婢(使用人)を抱えて連日来客が群集し大変な賑わいを見せました)。
【 史料原文・書き下し文 】
○同二日、御府下家屋建方、火災を可凌為、追々煉化石を以て取建る様、尚又英人ウオトルス氏の示たる方法を以、委曲の御布令有之。其後、銀座・尾張町・竹川町等の大通りより始り、次第に修造成り、戌年迄往還道十五間に広がり、この正中を馬車道、左右を人道とし、又馬車道と人道の境、両側へ樹木を栽しめらる(通り町より西の中通、弓町辺より南、大坂町迄、又御堀端比丘尼橋南の方、西紺屋町通り、山下町・丸や町辺迄、明治十年迄に煉瓦石建物落成す。銀座一丁目の貨食舗松田といへるは、煉瓦作の内、殊に美麗の大厦を営み、奴婢数人を抱へ、日毎に来客群集して賑へり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
