文化の大火。喜多村筠庭の現場ルポ
この文化の大火を目撃した喜多村筠庭によると以下の通りです。
ここで昼の九ツ時(正午頃)に出火した」というのは間違いです。この火事の朝、私は用事があって神田の土手下まで行きましたが、その時はまだ朝の四ツ時(午前10時頃)でした。風が烈しく吹き荒れて土塵が立ち込め、太陽の色も黄色く濁って見え、「火事が遠くに見える」と人々が言っていました。しかし大通りにまで灰や焼きくずが吹き落ちてくるため、急いで帰宅しました。
その後、中橋・上槙町の見舞いに行くと、人々はまだ片付けもせずぼんやりとしていたため、「風が強くて火の巡りが悪い(危険だ)。急いで荷物をまとめなさい」と勧め、浜町まで戻ったところ、「火が増上寺に飛び火して、塔頭や寺院群が焼けている」と耳にしました。驚いて再び槙町へ向かうと、またも飛び火があり、「早くも通町や中通りまで焼けてきた」とのことでした。これほど恐ろしい速さで燃え広がったのは、火が空を飛んだからです。風はますます激しくなって砂利まで吹き飛ばし、夕方には火の手がいくつの場所とも知れず立ち上り、浅草の方角へと向かって行きました。
ここで昼の九ツ時(正午頃)に出火した」というのは間違いです。この火事の朝、私は用事があって神田の土手下まで行きましたが、その時はまだ朝の四ツ時(午前10時頃)でした。風が烈しく吹き荒れて土塵が立ち込め、太陽の色も黄色く濁って見え、「火事が遠くに見える」と人々が言っていました。しかし大通りにまで灰や焼きくずが吹き落ちてくるため、急いで帰宅しました。
その後、中橋・上槙町の見舞いに行くと、人々はまだ片付けもせずぼんやりとしていたため、「風が強くて火の巡りが悪い(危険だ)。急いで荷物をまとめなさい」と勧め、浜町まで戻ったところ、「火が増上寺に飛び火して、塔頭や寺院群が焼けている」と耳にしました。驚いて再び槙町へ向かうと、またも飛び火があり、「早くも通町や中通りまで焼けてきた」とのことでした。これほど恐ろしい速さで燃え広がったのは、火が空を飛んだからです。風はますます激しくなって砂利まで吹き飛ばし、夕方には火の手がいくつの場所とも知れず立ち上り、浅草の方角へと向かって行きました。
【 史料原文・書き下し文 】
筠庭云、こゝに昼九時といへるは非なり。此火事の朝、用事ありて神田の土手下まで行しは、まだ四ッ時分也。風烈しく、塵立て、日の色黄ばみたり。火事遠く見ゆといへり。されど大路に灰燼吹落る故、いそぎて帰宅し、中橋・上槙町へ見舞しに、取片付などもせず居るゆへ、風つよく筋わろし、緩々物を納められよとすゝめ、浜町までかへりしに、火は増上寺に飛て、山内やくると聞て、又槙町へ至れば、又とび火有て、はや通町、中通りへ焼来ると云神速なりしは、火の飛故なり。風は益はげしく、砂利を飛ばし、夕方には火幾ヶ所ともなく、浅草の方に向へり。
出典・参考文献: 武江年表
