【事件・災害 / 火災・火事】 享保十七年三月二十八日 (西暦 1732-04-22)
干支: 年[壬子] 月[甲辰] 日[乙亥]
月相: / 節気:

西丸下御用屋敷より出火、数十箇所から同時に火の手が上がり山下町や木挽町など二里余を焼失

三月二十八日、西丸下の御用屋敷より出火し、山下町・鍋屋町・山王町・滝山町・木挽町などを焼き払い、浜屋敷に至って鎮火しました。
この火災は通常の火災とは異なり、一番目の西の御丸下(江戸城西の丸下・御櫓も一箇所焼失)をはじめとして先立ち後れて数十の箇所から同時に火の手が上がる異例の広がり方を見せました。
多数の武家屋敷や町家が焼失して延焼範囲はおよそ二里余に及び、当時八、九十歳の古老も「このような火の出方は見たことがない」と語り伝えるほどの前代未聞の火災となりました。
【 史料原文・書き下し文 】
〔金補〕同日、西丸下御用屋敷より出火、山下町・鍋屋町・山王町・滝山町・木挽町等を焼き、浜屋敷に至りて鎮火。
筠庭云、此時の火は常とかはりて、数多の所より先だち後れて出たり。先づ第一は、西の御丸下より始まり、御櫓も一ヶ所焼たり。武家方・町屋、その数をしらず失せて、凡延焼二里余となむ。大かた火は、一つなるが、分れて数筋となるは常也。然るに斯く数十の所(其場所は略す。別に記載あればなり)より起れば、この時八、九十歳の人もしらざる処也と語り伝へたり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表