【行事 / 宗教】 宝暦五年三月十六日から (西暦 1755-04-27頃)
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深川永代寺にて信州戸隠明神九頭龍権現の出開帳が始まり踊子「おゑん」の伝承で話題となる

三月十六日から深川の永代寺にて、信州・戸隠明神(現在の長野県長野市)の「九頭龍権現(顕光寺)」の出開帳が行われました。この時、神楽を舞う神子(みこ)の中に大変な美女がいると評判になった。その名を「おゑん」といい、「踊り子のことを世間で『おゑん』と言うようになったのは、これより始まった」とされています。
※喜多村筠庭注:踊り子という稼業は、元文年間(1736〜1741年)頃からすでに存在していたという。村松町や橘町(現在の日本橋人形町・東日本橋周辺)あたりに、とりわけ多く住んでいたと聞く。『武野俗談』という書物にも、「踊り子におゑんといえる者は、その頃に流行した者である」旨が記されている。したがって、「永代寺の開帳が起源である」という先の説は間違いである。また、男性に対して「ゑん次郎(えんじろう)」と言うことについては、次のような由来がある。浅田栄次郎という実在の人物の事を、山東京伝が黄表紙・戯作『艶次郎江戸うまれ浮気蒲焼(えんじろうえどううまれういきかばやき)』という作品に描いたことから、「ゑん次郎」という言葉がますます世間に言い流行るようになったのだという。しかし、女性に関してそのような経緯(特定の人物から名前をとった俗語の誕生)の諺があるということは、まだ聞いたことがない。
市村屋注:原文では期日は明らかではありませんが、ここでは仮に60日間としておきます。
【 史料原文・書き下し文 】
○三月十六日より深川永代寺にて、信州戸隠明神九頭龍権現(顕光寺)開帳(この時、神楽を舞ふ神子、美女の聞えあり。其名をおゑんといふ。踊子の事を、俗におゑんといふ諺は、これより始れり)。
筠庭云、踊子は元文頃よりありとか。村松町・橘町辺、尤も多かりしと云。『武野俗談』に、踊子におゑんといへるもの、其頃はやりし者なるよし見ゆ。さればこの説は非なり。男子にゑん次郎といふ事は、今も聞く事なり。是は、浅田栄次郎と云者の事を、山東京伝が『艶次郎江戸うまれ浮気蒲焼』といへる草紙に作りしより、ゑん次郎と云ふ事弥いひはやりたるなりと云へり。女子にさるたぐひの諺あるは、未だ聞ず。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表