【事件・災害 / 火災・火事】 安政六年三月十五日 (西暦 1859-04-17)
干支: 年[己未] 月[戊辰] 日[乙酉]
月相: 望(満月) / 節気: 土用

神田仲町から大火発生 柳原堤を越えて数十町が焼失、翌朝に鎮火

十五日夜、西北の強い大風が吹き荒れる中、戌刻(20時頃)、神田仲町一丁目(現在の東京都千代田区外神田周辺)の藁屋・富之助宅より失火しました。火は同二丁目・三丁目、柳屋敷、牛込代地、花房町通、船屋敷、佐久間町一丁目河岸通(この周辺は前年の冬にも焼失した場所が多数ありました)へと広がり、竹・木炭・薪の置場へ燃え移りました。そこからさらに柳原堤を越え、前冬の火災を免れていた柳原稲荷本社も焼け、柳原受負地、柳原岩井町、紺屋町三丁目代地で一旦鎮まりました。
しかし残った火勢はなおも猛威を振るい、八軒町、相生町、六軒町、松永町、花房町代地などを焼き尽くし、十六日の暁、丑刻頃(2時30分頃)にようやく鎮火しました。被災範囲は長さ2町40間余(約291m)、幅平均1町20間程(約145m)に及びました(前年の十一月に焼けたばかりで、ようやく家が建て直されたばかりの場所や、仮建ての家などが多く含まれていました)。
【 史料原文・書き下し文 】
○同十五日夜、西北大風。戌刻、神田仲町壱丁目藁屋富之助宅より失火して、同二丁目・三丁目・柳屋敷・牛込代地・花房町通・船屋敷・佐久間町壱丁目河岸通(此辺、去冬焼たる所多し)・竹・木炭・薪の置場へ移り、夫より柳原堤を越へて、去冬残りし柳森稲荷本社計り焼、柳原受負地・柳原岩井町・紺屋町三丁目代地にて鎮る。跡の火は猶熾にして、八軒町・相生町・六軒町・松永町・花房町代地等焼て、十六日暁、丑刻頃鎮る。長弐町四十間余、幅平均して壱町二十間程なり(去冬十一月焼て、漸く家作なりしと、又仮建等の家、多く焼たり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表