【事件・災害 / 火災・火事】 元治元年三月十四日 ~ 元治元年三月十五日 (西暦 1864-04-19 〜 1864-04-20)
📜 この頃の記事: 元治元年 元治元年三月

瀬戸物町から出火し五十九町が焼失する大火 日本橋・神田の一帯が灰燼に帰す

三月十四日の暁、八半時(午前5時頃)、南西の強い風が吹く中、瀬戸物町と室町二丁目の境界(仕立屋平兵衛と飛脚屋京屋弥兵衛の境)より火災が発生しました。
火は勢いを増して、瀬戸物町、室町一丁目・二丁目・三丁目、伊勢町、小田原町一丁目・二丁目、安針町、本町三丁目・四丁目、本石町四丁目(いずれも現在の東京都中央区日本橋エリア)、大伝馬町、塩町、岩付町、鉄砲町、小伝馬町、同上町、道有屋敷(いずれも現在の東京都中央区日本橋大伝馬町・日本橋小伝馬町・日本橋富沢町周辺)、岩井町、岩本町、亀井町、橋本町一丁目・二丁目・三丁目、松下町代地、龍閑町代地、鎌倉横町代地、今川橋受負地、江川町、久右衛門町、富松町、豊島町一丁目・二丁目・三丁目、元柳原六丁目、佐久間町代地、横山町代地、九軒町、元岩井町、紺屋町二丁目・三丁目、幸伯屋敷、大和町、小泉町、松枝町(いずれも現在の東京都千代田区神田岩本町・神田東松下町・神田須田町・東神田・神田佐久間町・神田紺屋町周辺)に至るまで、その他の焼失箇所を含めて合計59町を焼き尽くしました。さらに、お玉が池(現在の東京都千代田区神田岩本町周辺)の細川侯屋敷や御旗本衆の屋敷など、武家方数軒も類焼しました。
夜が明けて巳刻(10時頃)にようやく鎮火しました。被災規模は長さ9町(約982m)、幅平均3町程(約327m)に及びました。"
【 史料原文・書き下し文 】
○同十四日暁、八半時、南西風強く扇しが、瀬戸物町と室町二丁目の間(せと物町仕立や平兵衛と室町飛脚や京屋弥兵衛の堺なり)より出火して、瀬戸物町・室町一丁目・二丁目・三丁目・伊勢町・小田原町一丁目・二丁目・安針町・本町三丁目・四丁目・本石町四丁目・大伝馬・塩町・岩付町・鉄炮町・小伝馬町・同上町・道有屋敷・岩井町・岩本町・亀井町・橋本町一丁目・二丁目・三丁目・松下町代地・龍閑町代地・鎌倉横町代地・今川橋受負地・江川町・久右衛門町・富松町・豊島町一丁目・二丁目・三丁目・元柳原六丁目・佐久間町代地・横山町代地・九軒町・元岩井町・紺屋町二丁目・三丁目・幸伯屋敷・大和町・小泉町・松枝町、其外焼亡の分とも町数五十九町、お玉が池細川侯屋敷・御旗本衆、其外武家方数軒類焼あり。夜明て巳刻鎮る。長九町・幅平均三町程なり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表