安針町から出火し日本橋から八丁堀や霊巌島を経て佃島まで広範囲を焼失する大火
二月十日(彼岸の終わり、初午の2日前)、朝からの強烈な北風が日暮れに少し落ち着いたのち、戌刻(20時頃)、安針町(現在の東京都中央区日本橋室町一丁目周辺)と長浜町二丁目(中央区日本橋室町周辺)の境界にあった魚店の納屋より出火し一気に拡大しました。
火は瀬戸物町(中央区日本橋本町周辺)、伊勢町(中央区日本橋小舟町周辺)、本小田原町(中央区日本橋室町周辺)、長浜町、本船町(中央区日本橋本町周辺)、室町裏通(中央区日本橋室町周辺)へ焼き込み、江戸橋(中央区日本橋周辺)を越えて、四日市町、青物町、万町(中央区日本橋一丁目周辺)、通一丁目・二丁目裏手、音羽町(いずれも中央区日本橋周辺)、佐内町、小松町(中央区日本橋茅場町周辺)、川瀬石町(中央区日本橋本石町周辺)、本材木町四丁目、新右衛門町、榑正町、平松町、南油町、中通(いずれも中央区日本橋周辺)を焼き払いました。
さらに海賊橋向(中央区新舟場橋周辺)の牧野侯屋敷へ少し移り、坂本町(中央区日本橋兜町周辺)、南茅場町、山王旅所門前(中央区日本橋茅場町周辺)、そのほか八丁堀周辺一円(中央区八丁堀周辺)が完全に焼亡しました(松平越州侯・九鬼侯屋敷、中与力町は焼け残る)。
続いて北紺屋町(中央区銀座一丁目周辺)、金六町(中央区銀座周辺)、岡崎町(中央区八重洲二丁目周辺)、松屋町(中央区八重洲周辺)、日比谷町、永島町(中央区日本橋周辺)、幸町(千代田区幸町周辺)、長沢町、本八丁堀(中央区八重洲周辺)、高縄代地(港区高輪周辺の代地)、北島町、竹島町(中央区茅場町周辺)、南八丁堀(中央区新富周辺)へ移りました(橋際稲荷社や蒟蒻島[中央区新川周辺]は奇跡的に残る)。
さらに霊巌島、川口町、長崎町、銀町、円覚寺、富島町(いずれも中央区新川周辺)、東湊町(中央区湊周辺)に達し、隅田川を飛火して佃島(中央区佃周辺)の住吉神社も焼失しました。
そこから本湊町、船松町、十軒町(いずれも中央区湊周辺)へ焼き込み、武家では阿州侯中屋敷、細川侯屋敷が全焼、松平淡州侯屋敷に少し焼け込んだところで止まり、翌十一日巳半刻(10時半頃)に鎮火しました。
焼失町数85町、延焼の長さ約18町余(約2km)、幅平均約4町(約436m)に及びました。安政二年の震災後の粗雑な補修により土蔵の多くが焼破し、市中の初午稲荷祭は二の午へ延期されました。
火は瀬戸物町(中央区日本橋本町周辺)、伊勢町(中央区日本橋小舟町周辺)、本小田原町(中央区日本橋室町周辺)、長浜町、本船町(中央区日本橋本町周辺)、室町裏通(中央区日本橋室町周辺)へ焼き込み、江戸橋(中央区日本橋周辺)を越えて、四日市町、青物町、万町(中央区日本橋一丁目周辺)、通一丁目・二丁目裏手、音羽町(いずれも中央区日本橋周辺)、佐内町、小松町(中央区日本橋茅場町周辺)、川瀬石町(中央区日本橋本石町周辺)、本材木町四丁目、新右衛門町、榑正町、平松町、南油町、中通(いずれも中央区日本橋周辺)を焼き払いました。
さらに海賊橋向(中央区新舟場橋周辺)の牧野侯屋敷へ少し移り、坂本町(中央区日本橋兜町周辺)、南茅場町、山王旅所門前(中央区日本橋茅場町周辺)、そのほか八丁堀周辺一円(中央区八丁堀周辺)が完全に焼亡しました(松平越州侯・九鬼侯屋敷、中与力町は焼け残る)。
続いて北紺屋町(中央区銀座一丁目周辺)、金六町(中央区銀座周辺)、岡崎町(中央区八重洲二丁目周辺)、松屋町(中央区八重洲周辺)、日比谷町、永島町(中央区日本橋周辺)、幸町(千代田区幸町周辺)、長沢町、本八丁堀(中央区八重洲周辺)、高縄代地(港区高輪周辺の代地)、北島町、竹島町(中央区茅場町周辺)、南八丁堀(中央区新富周辺)へ移りました(橋際稲荷社や蒟蒻島[中央区新川周辺]は奇跡的に残る)。
さらに霊巌島、川口町、長崎町、銀町、円覚寺、富島町(いずれも中央区新川周辺)、東湊町(中央区湊周辺)に達し、隅田川を飛火して佃島(中央区佃周辺)の住吉神社も焼失しました。
そこから本湊町、船松町、十軒町(いずれも中央区湊周辺)へ焼き込み、武家では阿州侯中屋敷、細川侯屋敷が全焼、松平淡州侯屋敷に少し焼け込んだところで止まり、翌十一日巳半刻(10時半頃)に鎮火しました。
焼失町数85町、延焼の長さ約18町余(約2km)、幅平均約4町(約436m)に及びました。安政二年の震災後の粗雑な補修により土蔵の多くが焼破し、市中の初午稲荷祭は二の午へ延期されました。
【 史料原文・書き下し文 】
○同十日(彼岸の終り、初午の二日前なり)、朝より北風烈しかりしが、日暮てより少しく鎮りぬ。然るに戌刻、安針町・長浜町二丁目の境、魚店の納屋より火出て一時に焼広がり、瀬戸物町・伊勢町・本小田原町・長浜町・本船町・室町裏通へ焼込、江戸橋を越て、四日市町・青物町・万町・通一丁目・二丁目裏手・音羽町・佐内町・小松町・川瀬石町・本材木町四丁目迄、新右衛門町・榑正町・平松町・南油町・中通、又海賊橋向牧野侯屋敷へ少しく火移り、坂本町・南茅場町・山王旅所門前、其余八丁堀辺一円焼亡す(松平越州侯・九鬼侯は残る。中与力町、火中にして残る)。北紺屋町・金六町・岡崎町・松屋町・日比谷町・永島町・松屋町・幸町・長沢町・本八丁堀・高縄代地・北島町・竹島町・南八丁堀へ移る(橋際稲荷社は危く残る。又蒟蒻島も残る)。霊巌島・川口町・長崎町・銀町・円覚寺・富島町・東湊町に至り、佃島へ飛で住吉社も焼たり。夫より本湊町・船松町・十軒町へ焼込、武家には阿州侯中屋鋪・細川侯焼失、松平淡州侯屋鋪少し焼込、此所にて止る。翌十一日巳半刻に鎮る。町数八十五町・長延十八町余・幅平均して四町程なり(此時、土蔵の多く焼たるは、卯年の地震後、修復の麁略なるがゆゑ焼たるが多しとぞ。市中初午稲荷祭、火事により大方二午に延す多し)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
