【事件・災害 / 火災・火事】
安政五年十一月十二日
(西暦 1858-12-16)
干支: 年[戊午] 月[甲子] 日[癸未]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
赤坂三分坂上より出火、大風にあおられ赤坂・六本木・麻布十番まで延焼
十一月十二日の朝より強い乾風が吹き荒れ砂石が飛び交う中、未下刻(午後3時頃)、赤坂三分坂上の専福寺門前町屋(現在の東京都港区赤坂周辺)より火災が発生しました。折からの日照りと大風により、火は赤坂新町、一ツ木町、清水谷、三河台(いずれも港区赤坂・六本木周辺)、市兵衛町、飯倉片町、永坂(いずれも港区六本木・麻布十番周辺)へと拡大しました。戸沢侯・京極侯の中屋敷や諸武家屋敷、寺院などを焼き尽くし、麻布十番の薪河岸周辺(港区麻布十番周辺)に達して夜五ツ頃(午後8時頃)に鎮火しました。飛火による延焼のため残った場所もありましたが、被害規模は長さ14町30間余(約1.5キロメートル)・平均幅1町30間余(約163メートル)に及びました。(※赤坂氷川神社は焼失を免れました。)
【 史料原文・書き下し文 】
○同十一月十二日朝より乾大風、砂石を飛す。未下刻、赤坂三分坂上専福寺門前の町屋より失火せり。此頃旱天打続たりしに、大風により同所寺院・御掃除町・赤坂新町・元馬場辺組屋敷・御旗本衆屋敷数宇・一ツ木町・三軒家の辺・清水谷(檜木やしきはのこる)・三河台まで、武家方数宇・大御番組屋敷・不動院・同門前町屋・六軒町・市兵衛町北の方焼込、同所西武家方多く焼、飯倉片町・永坂の上、戸沢侯・京極侯中屋敷、狸穴辺武家方数宇・麻布十番・薪河岸といふ辺に至り、夜五時頃鎮る。飛火にて焼たりし故、其間々に残れる所あり。故に焼込の場を拾ふて数ふるに、長さ凡十四町三十間余・幅平均して壱町三十間の余なり(赤坂氷川社は恙なし)。
出典・参考文献: 武江年表
