【行事 / 宗教】 安政六年二月二十五日 ~ 安政六年二月二十七日 (西暦 1859-03-29 〜 1859-03-31)
📜 この頃の記事: 安政六年 安政六年二月

亀戸天満宮にて久しく絶えていた神輿渡御を伴う祭礼が盛大に執り行われる

二月二十五日、亀戸天満宮(現在の東京都江東区亀戸三丁目周辺)にて祭礼が執行されました。
これは前年八月の祭礼が疫病の蔓延のため延期されていたため、今年二月に御忌の祭も兼ねて執り行われたものです。
神輿が産子(氏子)の町々を渡御することは久しく絶えていましたが、今年ついに復活を果たしました。
別当の行列はありませんでしたが、大きな獅子頭が出されたほか、氏子町々からは車楽十七両、踊台五荷、地走りや踊りなどが出されました。
当日は快晴で非常に暖かく、江戸中から集まった見物客で夥しい賑わいとなりました(ただし二十四日の前日に小雨が降ったため、二十六日・二十七日にも渡御が行われました)。
神楽渡御の道筋は、本社から表門川端へ出て南へ進み、亀戸町・清水町・北松代町四丁目周辺(江東区亀戸・墨田区江東橋・錦糸一帯)から東の御旅所へ入りました。
同門前から東へ向かい、南本所瓦町・北松代町四丁目・亀戸村・五ツ目渡場周辺(墨田区江東橋・江東区大島・住吉一帯)へ至り、折り返して西へ渡り、松代町・柳原町通・本所茅場町周辺(墨田区江東橋・緑・立川一帯)や武家地の間を循環しました。
続いて花町・緑町・相生町・尾上町・元町周辺(墨田区緑・両国一帯)、両国橋東詰、駒留橋・小泉町・回向院裏門・松坂町周辺(墨田区両国・千歳一帯)を通りました。
さらに南および東へ曲がり、辻橋・徳右衛門町・材木町・松井町・菊川町周辺(墨田区千歳・立川・菊川一帯)を経て四の橋を北へ渡り、小梅代地・深川六間堀代地・柳島町周辺(墨田区向島・業平・江東区亀戸一帯)を左右へ行き来したのち、天神橋を渡って北の河岸通裏門より無事に還輿されました。
【 史料原文・書き下し文 】
○同二十五日、亀戸天満宮祭礼執行(去年八月の祭礼延たるを、今年二月、御忌の祭をも兼て執行あり。神輿、産子町々渡御の事、久しく絶たるを今年渡し参らす。別当の行列はなし。大なる獅子頭を出す。産子町々より車楽十七輛・踊台五荷・地走り・踊等出す。当日快晴にて、殊に暖気なり。江戸中の見物群集する事夥し。但、二十四日前日に小雨降し故、二十六日・二十七日にも渡したり)。神楽渡御道筋、本社より表門川端へ出、南へ亀戸町・清水町・北松代町四丁目迄、東へ御旅所へ入、同門前より東へ同町・南本所瓦町・北松代町四丁目続き亀戸村・五ツ目渡場迄。夫より引返し、西へ、旅所橋渡り松代町・柳原町通北へ、本所茅場町・松代町と武家地の間廻り、元の松代町・柳原町・横川の通、橋を渡り西へ、花町・緑町・相生町通り北へ、尾上町・元町の通、両国橋東詰、駒留橋・藤堂侯前・小泉町・回向院裏門通・土屋侯・松坂町の間より南へ、又東へ曲り、相生町・緑町北裏武家地境の通、夫より南へ横川の橋を東へ渡り、南へ辻橋渡、西へ徳右衛門町・材木町・松井町河岸・弁天門前より東へ、武家境・津軽侯横通南へ、菊川町河岸通・菊川橋渡・向河岸京極・山名・鳥居家前・柳原町より四の橋を北へ渡り、小梅代地東へ、本多・井上・堀家前を深川六間堀代地・柳島町の間、左右出戻り、天神橋渡り、北へ河岸通裏門より還輿あり。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表