【事件・災害 / 事件・事故】 天和三年三月二十九日 (西暦 1683-04-25)
干支: 年[癸亥] 月[丙辰] 日[辛酉]
月相: / 節気:

八百屋お七が放火のかどで火刑に処される

三月二十九日、駒込片町の八百屋久兵衛の娘であるお七(八百屋お七)が、火あぶりの刑に処されました。弱冠16歳でした。これは昨年の天和の大火の後、愛しい寺小姓に再会するために大円寺に放火した罪によるものです。
彼女は幼いころから能書家であったとされ、13歳の春に松・竹・梅の三文字を書いた横額を湯島天満宮の拝殿に奉納しましたと言われます。このお七は、谷中七面堂(七面大明神)への祈願によって授かった申し子であったため、お七と名付けられたのだそうです。
墓は駒込の円乗寺にあり、のちに歌舞伎役者たちが再建したものとのことです。
石上宣続の『卯花園漫録』によると、「江戸谷中の感応寺(現在の天王寺)の祖師堂に掲げられている『霊鷲山法華最第一』という額は、八百屋の娘お七が11歳の時に書いた筆跡である。延宝四年辰春二月と書いてある」とされています。
【 史料原文・書き下し文 】
○三月二十九日(陽暦四月二五日)、駒込片町八百屋久兵衛の娘お七、火刑に行はる(今年十六歳といふ。其顚末、世人の知る所なり。十三歳の春、松竹梅の三字を書たる横額を、ゆしまの拝殿に掲たるが今にあり。このお七は、谷中七面宮のまうし子なるゆへ、かく名づけしよし也。墳墓は駒込円乗寺にあり。近世、歌舞妓の輩、再建たる所なり。『卯花園漫録』に、江戸谷中感応寺の祖師堂にかけたる在、霊鷲山法華最第一と云額、八百屋娘お七、十一歳の筆跡也。延宝四年辰春二月と書有之。又同書に、お七火刑は天和二戌三月としるせるは誤なり)。
金吾云、お七の火刑は、天和二年十二月の大火に際し、大円寺に放火したるに依るものにして、故にかの大火をお七火事とも称す。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表