豊明節会や宮中斎場参拝で東京中が大歓喜、日本橋での車楽・仮装練り歩きや吉原遊女の船参拝で大賑わい
十一月十八日、宮中にて豊明節会(とよあかりのせちえ)が催されたことを祝し、東京市中の各町角に斎竹(いみだけ)が立てられ提灯が掲げられました。日本橋周辺(現在の中央区日本橋周辺)では俄作りの車楽(山車)や踊り舞台が設置され、芸妓らが裁つけ袴姿の男装で鉄棒を曳いて練り歩くなど大賑わいとなりました。十九日から二十九日にかけては市民らによる紅葉山(現在の千代田区皇居東御苑周辺)の新御斎場参拝が許され、竹橋御門から半蔵御門へと抜ける大参拝列ができました。
最終日の二十九日には吉原遊郭の遊女や男女の芸妓らが船を仕立て、賑やかな囃子とともに参拝に訪れ、大勢の見物客で賑わいました。
最終日の二十九日には吉原遊郭の遊女や男女の芸妓らが船を仕立て、賑やかな囃子とともに参拝に訪れ、大勢の見物客で賑わいました。
【 史料原文・書き下し文 】
○十八日、朝雨、後曇る。豊明御節会により世上一統賑ひ、市中には角々に斎竹を立、軒に挑灯を掲げたり。又、各産土神社へ詣す。日本橋の辺、殊に賑ひて、俄に車楽を曳く。又伎踊台は日本橋南に多し。声妓は裁付袴と云を着て、男子の姿に出たち、鉄棒を曳く。十九日、晴天にて朝より曳渡す。新橋迄の町々も是に同く、其外東京中の賑なれど、何れも急卒の催しなれば、詳なる事を知らず。十九日は非役・華族の御方々、二十日より二十九日迄は日割を以、市民ら紅葉山神殿御補理の御斎場参拝に出る。竹橋御門を入り、半蔵御門へ出る(二十九日は吉原町遊女・男女の芸者、参拝に出る。数艘の船に乗じ、旗を立、はやしつれて至る。諸人見物す。如此黎庶挙て御斎場を拝し奉る事、誠に有難き御事なり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
