【事件・災害 / 火災・火事】
天保五年二月十日
(西暦 1834-03-19)
干支: 年[甲午] 月[丁卯] 日[乙巳]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
大名小路から出火、築地や芝口に至り江戸市中を焼き尽くす大火
二月十日の昼九時頃(12時頃)、大名小路の周辺(現在の東京都千代田区丸の内周辺)より出火しました。
火の手は諸侯の藩邸数宇をはじめ、鍛冶橋御門(千代田区丸の内一丁目周辺)、数奇屋橋御門(中央区銀座四丁目周辺)、南鍛冶町(中央区八重洲二丁目周辺)、鈴木町周辺(中央区日本橋茅場町周辺)、南伝馬町(中央区京橋周辺)、銀座町(中央区銀座周辺)、尾張町(中央区銀座五丁目周辺)、三十間堀(中央区銀座・歌舞伎座西側周辺)、新橋向(港区新橋周辺)、木挽町(中央区銀座東部周辺)、築地周辺(中央区築地周辺)、芝口二丁目(港区新橋一丁目周辺)にいたるまで凄まじい勢いで延焼しました。
三つの火災がひとつに合わさったような規模であり、被害は長さ凡そ1里(約4km)、幅平均10町余(約1.1km)に及びました。
数え切れないほどの焼死者や負傷者を出し、幕府は被災民救済のため10カ所に13棟の御救小屋(おすけごや)を設置して貧民を救助しました。
火の手は諸侯の藩邸数宇をはじめ、鍛冶橋御門(千代田区丸の内一丁目周辺)、数奇屋橋御門(中央区銀座四丁目周辺)、南鍛冶町(中央区八重洲二丁目周辺)、鈴木町周辺(中央区日本橋茅場町周辺)、南伝馬町(中央区京橋周辺)、銀座町(中央区銀座周辺)、尾張町(中央区銀座五丁目周辺)、三十間堀(中央区銀座・歌舞伎座西側周辺)、新橋向(港区新橋周辺)、木挽町(中央区銀座東部周辺)、築地周辺(中央区築地周辺)、芝口二丁目(港区新橋一丁目周辺)にいたるまで凄まじい勢いで延焼しました。
三つの火災がひとつに合わさったような規模であり、被害は長さ凡そ1里(約4km)、幅平均10町余(約1.1km)に及びました。
数え切れないほどの焼死者や負傷者を出し、幕府は被災民救済のため10カ所に13棟の御救小屋(おすけごや)を設置して貧民を救助しました。
【 史料原文・書き下し文 】
○同月十日昼九時頃、大名小路の辺より出火して、諸侯の藩邸数宇、鍛冶橋御門・数奇屋橋御門・南鍛冶町・鈴木町辺・南伝馬町・銀座町・尾張町・三十間堀・新橋向・木挽町・築地辺・芝口二丁目迄延焼。三度の焼亡、一ッにして長凡壱里・幅平均にして十町の余といふ。焼死・怪我人数ふべからず。御救の小屋十箇所へ十三棟を建られ、貧民を救はせらる。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
