【政治・社会 / 法令・制度】
慶長十一年十二月八日
(西暦 1607-01-06)
干支: 年[丙午] 月[辛丑] 日[癸巳]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
永楽銭の通用停止令を発令、貨幣流通制度を整備
十二月八日、幕府より永楽銭の使用を禁止し、悪銭(鐚銭)のみを用いるべしとの達しが出され、日本橋(現在の中央区日本橋周辺)に高札が立てられました(※慶長13年説もあり)。
かつて北条氏康の時代、関東では永楽銭を共通通貨と定め、鐚銭は上方へ流出していましたが、徳川氏による天下統一後は両銭が混用されていました。しかし当時、永楽銭1銭に対して鐚銭4〜5銭が充てられるなど取引における撰銭(銭の選別)が横行し万民が苦しんだため、今年に至って永楽銭の使用が停止されました(『北条五代記』による)。別の記録によれば、永楽銭1貫文を金1両と定め、金に換える際は100銭につき1銭の口銭(手数料)を差し引く慣行がありました。各地の年貢に「永納」の言葉が残るのもこの遺風であり、のちに鐚銭100銭の価値をこれに移し、永楽1銭の価額から1銭を差し引いた「96銭」をもって1両相当の取引(九六銭)として通用させる制度へと発展しました。
かつて北条氏康の時代、関東では永楽銭を共通通貨と定め、鐚銭は上方へ流出していましたが、徳川氏による天下統一後は両銭が混用されていました。しかし当時、永楽銭1銭に対して鐚銭4〜5銭が充てられるなど取引における撰銭(銭の選別)が横行し万民が苦しんだため、今年に至って永楽銭の使用が停止されました(『北条五代記』による)。別の記録によれば、永楽銭1貫文を金1両と定め、金に換える際は100銭につき1銭の口銭(手数料)を差し引く慣行がありました。各地の年貢に「永納」の言葉が残るのもこの遺風であり、のちに鐚銭100銭の価値をこれに移し、永楽1銭の価額から1銭を差し引いた「96銭」をもって1両相当の取引(九六銭)として通用させる制度へと発展しました。
【 史料原文・書き下し文 】
○十二月八日、永楽銭御停止、鐚ばかり用ふべき旨、日本橋へ高札を立らる(或は十三年ともいふ。北条氏康の時、関東にて永楽銭を用ふべしと令せられ、びた銭は上方へ上りしが、天下御一統となり、二銭取交て用ふ。しかれども永楽一銭のかはりに、びた四、五銭を当て遣ふ。是におゐて善悪をえらび、万民安からず。よつて今年、永楽を止給ひし由、『北条五代記』にいへり。或記云、永楽銭一貫文、金壱両と定め、金にかふる時は百銭に一銭づゝ除きて口銭とす。今以所々に永納の年貢あるは、此遺風なり。びた百銭に是を移し、永楽に一せんの価を除て、九十六銭をもつて通用すといへり)。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
