【行事 / 興行】
慶長十二年二月二十日
(西暦 1607-03-17)
干支: 年[丁未] 月[癸卯] 日[癸卯]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
江戸城内にて出雲阿国のかぶき興行が開催
二月二十日、江戸城内において出雲の阿国による勧進歌舞伎が興行されました。
三浦浄心の『見聞集』によると、阿国は出雲国小村三右衛門という者の娘であるとされ、阿国歌舞伎の詳細については山東京伝の『骨董集』に詳しく記されています。
この興行は御本丸と西御丸の間のもみぢ山下のあたりで行われました。
『見聞集』には、二月二十日には「くに」という女がやってきて、その一団の足跡としてかぶき(歌舞伎)を演じたことなどが伝えられています。
同月には観世・金春の勧進能も開催されており、これらは人々を慰め、武士たちの気風を和らげられたものであり、この当時の江戸の様子が偲ばれます。
三浦浄心の『見聞集』によると、阿国は出雲国小村三右衛門という者の娘であるとされ、阿国歌舞伎の詳細については山東京伝の『骨董集』に詳しく記されています。
この興行は御本丸と西御丸の間のもみぢ山下のあたりで行われました。
『見聞集』には、二月二十日には「くに」という女がやってきて、その一団の足跡としてかぶき(歌舞伎)を演じたことなどが伝えられています。
同月には観世・金春の勧進能も開催されており、これらは人々を慰め、武士たちの気風を和らげられたものであり、この当時の江戸の様子が偲ばれます。
【 史料原文・書き下し文 】
二月十三日より十六日まで、御城の辺にて、観世・金春勧進能興行あり。同二十日、同所にて、出雲の神子国、勧進歌舞妓興行あり(『見聞集』に、おくには出雲国小村三右衛門といふ人の娘と云々。おくにかぶきの事、山東の『骨董集』にくはし)。
筠庭云、江戸御城御本丸と西御丸との間にて興行す。『見聞集』に、慶長十二年二月十三日より御本丸と西丸との間、今のもみぢ山下の辺にて観世・今春が乞奉りしに任せられて勧進能興行す。同二十日、くにといへる女来りて、かぶきをかの徒の跡にてせしことも有しに、諸人をなぐさめ士風を和らげ玉ひしゆへ、此比の江戸のさま思ひやるべし。(武江年表)
筠庭云、江戸御城御本丸と西御丸との間にて興行す。『見聞集』に、慶長十二年二月十三日より御本丸と西丸との間、今のもみぢ山下の辺にて観世・今春が乞奉りしに任せられて勧進能興行す。同二十日、くにといへる女来りて、かぶきをかの徒の跡にてせしことも有しに、諸人をなぐさめ士風を和らげ玉ひしゆへ、此比の江戸のさま思ひやるべし。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
