江戸城内にて観世・金春の勧進能が開催
二月十三日から十六日にかけ、江戸城の御本丸と西御丸の間(現在の千代田区千代田・紅葉山下周辺)において、観世および金春による勧進能が興行されました。
この興行は御本丸と西御丸の間のもみぢ山下のあたりで行われました。
三浦浄心の『見聞集』には、慶長十二年二月十三日から御本丸と西丸の間(今のもみぢ山下の辺り)において、観世・金春からの乞いにより許可されて勧進能が興行されたことなどが伝えられています。
さらに同月二十日には、同じく城内において出雲の阿国による勧進歌舞伎興行が予定されています。
この興行は御本丸と西御丸の間のもみぢ山下のあたりで行われました。
三浦浄心の『見聞集』には、慶長十二年二月十三日から御本丸と西丸の間(今のもみぢ山下の辺り)において、観世・金春からの乞いにより許可されて勧進能が興行されたことなどが伝えられています。
さらに同月二十日には、同じく城内において出雲の阿国による勧進歌舞伎興行が予定されています。
【 史料原文・書き下し文 】
二月十三日より十六日まで、御城の辺にて、観世・金春勧進能興行あり。同二十日、同所にて、出雲の神子国、勧進歌舞妓興行あり(『見聞集』に、おくには出雲国小村三右衛門といふ人の娘と云々。おくにかぶきの事、山東の『骨董集』にくはし)。
筠庭云、江戸御城御本丸と西御丸との間にて興行す。『見聞集』に、慶長十二年二月十三日より御本丸と西丸との間、今のもみぢ山下の辺にて観世・今春が乞奉りしに任せられて勧進能興行す。同二十日、くにといへる女来りて、かぶきをかの徒の跡にてせしことも有しに、諸人をなぐさめ士風を和らげ玉ひしゆへ、此比の江戸のさま思ひやるべし。(武江年表)
筠庭云、江戸御城御本丸と西御丸との間にて興行す。『見聞集』に、慶長十二年二月十三日より御本丸と西丸との間、今のもみぢ山下の辺にて観世・今春が乞奉りしに任せられて勧進能興行す。同二十日、くにといへる女来りて、かぶきをかの徒の跡にてせしことも有しに、諸人をなぐさめ士風を和らげ玉ひしゆへ、此比の江戸のさま思ひやるべし。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
