湯島天神裏門前から出火し日本橋から深川へ大延焼。家屋六万軒余焼失
正月二十二日の昼九時(12時頃)、湯島天神裏門前にあった牡丹長家(現在の東京都文京区湯島周辺)より火災が発生しました。
西北の烈しい風にあおられた火の手は、三組町(現在の東京都文京区湯島周辺)、妻恋社(現在の文京区湯島にある妻恋神社周辺)、神田明神門前ならびに鳳閣寺、旅籠町周辺(現在の千代田区外神田周辺)、内外神田(現在の千代田区神田周辺)を経て、通町筋、本町通、日本橋(いずれも現在の中央区日本橋周辺)にいたるまで一気に拡大しました。
さらに東側は、小田原町、堀江町、小網町、堺町、葺屋町、当時の江戸歌舞伎の拠点である両座芝居ならびにその近辺、大伝馬町、小伝馬町、馬喰町、浜町(いずれも現在の中央区日本橋・日本橋人形町・浜町周辺)の広範囲を焼き尽くしました。
火はさらに隅田川を越えて深川へも飛び火し、熊井町、相川町、大島町周辺(現在の東京都江東区深川・森下周辺)、富岡八幡宮の一ノ鳥居、仲町周辺(現在の江東区富岡周辺)などが焼亡しました。
猛威を振るった火勢は、翌二十三日の暁(早朝)になってようやく鎮火しました。
この大火により、史料の記録によると聖堂(湯島聖堂)と神田明神は奇跡的に本社のみがどうにか残り、焼失した家屋は凡そ6万軒余りにのぼると伝えられています。
西北の烈しい風にあおられた火の手は、三組町(現在の東京都文京区湯島周辺)、妻恋社(現在の文京区湯島にある妻恋神社周辺)、神田明神門前ならびに鳳閣寺、旅籠町周辺(現在の千代田区外神田周辺)、内外神田(現在の千代田区神田周辺)を経て、通町筋、本町通、日本橋(いずれも現在の中央区日本橋周辺)にいたるまで一気に拡大しました。
さらに東側は、小田原町、堀江町、小網町、堺町、葺屋町、当時の江戸歌舞伎の拠点である両座芝居ならびにその近辺、大伝馬町、小伝馬町、馬喰町、浜町(いずれも現在の中央区日本橋・日本橋人形町・浜町周辺)の広範囲を焼き尽くしました。
火はさらに隅田川を越えて深川へも飛び火し、熊井町、相川町、大島町周辺(現在の東京都江東区深川・森下周辺)、富岡八幡宮の一ノ鳥居、仲町周辺(現在の江東区富岡周辺)などが焼亡しました。
猛威を振るった火勢は、翌二十三日の暁(早朝)になってようやく鎮火しました。
この大火により、史料の記録によると聖堂(湯島聖堂)と神田明神は奇跡的に本社のみがどうにか残り、焼失した家屋は凡そ6万軒余りにのぼると伝えられています。
【 史料原文・書き下し文 】
○正月二十二日昼九時、湯島天神裏門前牡丹長家より出火、西北風烈しく、三組町・妻恋社・神田明神門前幷鳳閣寺・旅籠町辺、内外神田より通町筋・本町通・日本橋迄。東は小田原町・堀江町・小網町・堺町・葺屋町・両座芝居幷近辺・大伝馬町・小伝馬町・馬喰町・浜町。深川へ飛火、熊井町・相川町・大島町辺・八幡宮一ノ鳥居・仲丁辺焼亡。翌二十三日暁鎮る。聖堂・神田明神は本社計り残る。
金吾云、焼失家屋、凡そ六万軒余といふ。(武江年表)
金吾云、焼失家屋、凡そ六万軒余といふ。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
