【政治・社会 / 法令・制度】
天保十三年三月十八日
(西暦 1842-04-28)
干支: 年[壬寅] 月[甲辰] 日[丁卯]
月相: / 節気:
月相: / 節気:
江戸の料理茶屋二十余箇所が取り払い 酌取女は吉原へ移籍
三月十八日、幕府より命令が下され、江戸市中外縁部に位置する料理茶屋20余箇所が取り払われました。それに伴い、各店で働いていた酌取女(私娼)たちは吉原町(現在の東京都台東区千束)へと集約・移転させられることとなりました。八月にかけて順次立ち退きが進められ、中には吉原へ一家で移住して正式な娼家として再出発する店もありました。
今回取り払いの対象となった20余箇所の岡場所(私娼街)は以下の通りです。
・深川仲町(現在の東京都江東区門前仲町周辺。仲町と呼ばれていますが実際は山本町です)
・新地(つきだし新地とも呼ばれます)
・古石場(現在の江東区古石場・越中島周辺)
・新石場(同所に隣接する定浚屋敷周辺)
・裾継(山本町の横通り)
・櫓下(山本町通りの方向)
・網打場(現在の江東区永代・松村町周辺)
・あひる(別名「海」とも呼ばれ、本名は佃町(現在の中央区佃)です。昔、房総半島の安房国朝夷郡(あひるごおり)の船頭がこの地に移住したことから名付けられ、帆洗い女という名目で売女を始めたのが起源とされます)
・本所弁天(八郎兵衛屋敷と呼ばれた場所です)
・松井町おたび(深川八幡宮の旅所門前)
・吉岡町・吉田町鐘撞堂(現在の墨田区江東橋・入江町周辺)
・浅草堂前(龍光寺門前周辺)
・三田三角(現在の港区三田・寿命院上り屋敷周辺)
・麻布市兵衛町(現在の港区六本木・麻布台周辺。なお「藪下」と呼ばれた地域はこれより前に廃れていました)
・市谷じく谷(現在の新宿区市谷谷町周辺)
・根津門前(現在の文京区根津)
・谷中いろは茶屋(現在の台東区谷中・天王寺門前)
・音羽町(現在の文京区音羽)
・鮫ヶ橋(現在の新宿区南元町・若葉周辺)
・赤坂麦飯(現在の港区赤坂田町周辺。遊女のことを昔より「米(よね)」と呼ぶことから、質の劣る遊女を意味して名付けられたとも言われています)。
※喜多村筠庭注:この「麦飯」の語源については以前自身の著書『瓦礫雑考』の補足記事で言及した際、異議を唱える者もいたものの、今回の記録を見る限り自身の説のみではなかったようです。
今回取り払いの対象となった20余箇所の岡場所(私娼街)は以下の通りです。
・深川仲町(現在の東京都江東区門前仲町周辺。仲町と呼ばれていますが実際は山本町です)
・新地(つきだし新地とも呼ばれます)
・古石場(現在の江東区古石場・越中島周辺)
・新石場(同所に隣接する定浚屋敷周辺)
・裾継(山本町の横通り)
・櫓下(山本町通りの方向)
・網打場(現在の江東区永代・松村町周辺)
・あひる(別名「海」とも呼ばれ、本名は佃町(現在の中央区佃)です。昔、房総半島の安房国朝夷郡(あひるごおり)の船頭がこの地に移住したことから名付けられ、帆洗い女という名目で売女を始めたのが起源とされます)
・本所弁天(八郎兵衛屋敷と呼ばれた場所です)
・松井町おたび(深川八幡宮の旅所門前)
・吉岡町・吉田町鐘撞堂(現在の墨田区江東橋・入江町周辺)
・浅草堂前(龍光寺門前周辺)
・三田三角(現在の港区三田・寿命院上り屋敷周辺)
・麻布市兵衛町(現在の港区六本木・麻布台周辺。なお「藪下」と呼ばれた地域はこれより前に廃れていました)
・市谷じく谷(現在の新宿区市谷谷町周辺)
・根津門前(現在の文京区根津)
・谷中いろは茶屋(現在の台東区谷中・天王寺門前)
・音羽町(現在の文京区音羽)
・鮫ヶ橋(現在の新宿区南元町・若葉周辺)
・赤坂麦飯(現在の港区赤坂田町周辺。遊女のことを昔より「米(よね)」と呼ぶことから、質の劣る遊女を意味して名付けられたとも言われています)。
※喜多村筠庭注:この「麦飯」の語源については以前自身の著書『瓦礫雑考』の補足記事で言及した際、異議を唱える者もいたものの、今回の記録を見る限り自身の説のみではなかったようです。
【 史料原文・書き下し文 】
○三月十八日、官府より命ぜられて、江戸端々の料理茶屋二十余ヶ所取払、酌取女は吉原町へ入る(八月迄、次第に引払ひ、吉原へ一家引移りて娼家となれるもあり。所謂二十ヶ所の余の拍戸は、△深川仲町〈仲町と称すれど、山本町なり〉△新地〈つきだし新地と云〉△古石場〈越中島町〉新石場〈同所続、定浚やしき〉裾継〈山本町横通り〉櫓下〈山本町通の方也〉網打場〈松村町〉あひる〈又、海といふ。本名佃町也。あひるといふ事は、昔房州畦蒜郡の船頭、この所へ移る。帆洗ひ女といへる名目にて、売女始といふ〉△本所弁天(八郎兵衛やしきをいふ〉松井町おたび〈深川八幡宮旅所門前也〉吉岡町・吉田町鐘撞堂〈入江町〉△浅草堂前〈龍光寺門前〉△三田三角〈寿命院上り屋敷〉△麻布市兵衛町〈麻布宮村丁、藪下といへるは、これより前に廃れたり〉△市谷じく谷〈谷町〉△根津門前△谷中いろは茶や〈天王寺門前也〉△音羽町△鮫ヶ橋△赤坂麦めし〈田町也。遊女の事を昔よりよねといふ。よねの劣りたるといふ意にてなづけしにやあらん。いぶかし〉)。
筠庭云、此麦飯のことは、予もむかし『瓦礫雑考』の端ものへ、序でにいひたる事ありしを、かたぶき譏れる者のあるよし聞く。今こゝを見れば、おのれのみにはあらず。(武江年表)
筠庭云、此麦飯のことは、予もむかし『瓦礫雑考』の端ものへ、序でにいひたる事ありしを、かたぶき譏れる者のあるよし聞く。今こゝを見れば、おのれのみにはあらず。(武江年表)
出典・参考文献: 武江年表
